花ひらく、

どんなふうであれ、ひさびさに彼は生きているなーと思う瞬間に立ちあって、あーやっぱこの人だなあと思った。画面を通してしまったらだいぶ違うんだけど、わたしがすきなのはお家で都合よく切り取られたちっちゃな液晶を眺めることではなくて、粗削りでもなんでもいいから処理しきれないくらい彼のことだけ見つめる時間だなあと改めて思った。

もうすぐ好きになってから季節が一周する。彼も私もひとつ年を重ねた。涼さんはふわり、と花びらがのびをするみたいにきれいに笑う人になった。

前の春は、もうすこしあどけなく、幼く笑う人だった気がする。いつの間にそんなきれいな人になってしまったんだろうか。

 

17から18なんて、変わらないでいることの方が少ないのに、変わらずいてほしいと願ってしまうことの方が多くって、ずっとずっと子供でいてほしい、弱くあれというエゴが心のどこかでいつも顔をのぞかせている気がしている。仕方ないかなと思う。好きになったときの顔、忘れたくないし。

粗削りであればあるほどその粗さが愛しくなること。きれいに笑う涼さんを見て、そんな姿に心を打たれながらも、そうだなあ、例えば夏の記憶、涼さんのあの「未完成さ」に少しすがるみたいに自分のこの手を伸ばしてしまうのを実感した。どれだけダンスのテンポがみんなより早くたって、低めの音は少し安定しなくたって、それが愛おしかった。できないね、頑張ろうねって安心していた。

 

もう子供じゃないのかもしれない。大学に進学して、たぶんこれからもっと進路は増える。ひとりでできることだって増える。1人暮らしも始めたかもしれない。履修登録はできなくたって、講義を受けるようになる。好きになってからずっと追いかけてきた背中にある翼は、とっくのとうに大空にはばたけるくらい大きくなっているのかもしれない。

 

綺麗に笑う人になった。本当にそれが印象的だった。

 

いつだってまっすぐで素直な言葉も、ちょっぴりどころじゃなくてあほなところも、全部愛しくて、好きになったころからひとつも変わっていないなって思うけど、ただひとつ、きれいに笑うようになったんだ。本当に花開くように笑うようになった。目で見る涼さんがすべてだって思ってるんだけど、知らないうちにきれいな人になっていた。

努力のたまものだ、きっと。

ダンスがうまくなったね。歌も、表情がのるようになったんじゃないかな、声質生かした歌い方をするようになりましたね。ローラーもきっとうまくなっているんでしょう。ピアスもつけるようになって、髪を染めたって怒られる立場ではなくなったし、もう、もう子供だなんて勝手に守りたくなっちゃってる場合じゃないのかもしれません。

 

でも、今はまだもう少し、年下の可愛い子って思わせてほしい。きれいになった涼さんも愛しているけど、まだご飯に目をキラキラさせちゃうところとか、聞こえてきた単語を反芻してしまってえへへと笑ったりとか、ほら、髪染めたんだよねやばいよね~ってなんかしらんけどどこか他人事なところとか、そういうかわいさをかきあつめてよしよししちゃうけど、許してください。

 

 

大人になっていく様をこれからみられるのかと思うと、ちょっぴりだけ寂しくて、せつないけど、それ以上にすっごく楽しみにしているから、今のこの瞬間を目いっぱい愛しく大事にしたい。

 

いつだって今の涼さんがナンバーワンでだいすきなことには変わりないので、やっぱり好きなように生きてね。

 

 

あなたにお手紙書きましょう 井上瑞稀・橋本涼

 

はしもとくんを応援していると、気持ちがほかほかになることがおおい。それはひとえにはしもとくんの力であると思うと同時に、はしもとくんが愛する彼を取り巻く環境をわたしも愛せるからなのではないかなーってぼんやり感じている。愛する人と愛する「事」を共有できることはきっと当たり前なんかではなくて、それもやっぱり大切なことに対して素直で恥じない涼さんだからなんだとわたしは思う。わたしのすきなひとって、たぶんそういうひとだ。

 

瑞稀くんがそういう、「運命」をぶんなぐる「必然」とか、前を向くために必要な存在に涼さんを挙げたりとか、そういう……まっすぐで、そう、涼さんみたいな言い回しをするなんて、正直思っていなかった。どんなことを言うんだろうかとは思っていたけど、瑞稀くんは雑誌のインタビューでも涼さんのことをまっすぐ語ったりとかあんまりしていないイメージだったから、意外で、鍵のかかった心の奥をするり撫でられた気がした。インタビューあんまり読んでるわけではないので不確かなこと言ってますが、最近は瑞稀くん→涼さんの心情吐露みたいな、そういうのってあんまりなかった気がしたから……だからこのコーナー、身構えていたのかもしれない。瑞稀くんがどんなふうに何を言うのか、わたしにはわからなかったから。

瑞稀くんは優斗くんとなかよしだし、そやさくのこともかわいがっている(かわいがられている?)し、なにかエピソードを出す時には涼さんのことよりもほかの3人のことの方が多い気がして、一方で、涼さんは大事なところでは瑞稀くんの話をよくしている気がしている。そして瑞稀くんには、自分の行く先、つまり「縦」の話はするけど、現状5人でのつながり、「横」の話に言及することはそこまでないかな〜という印象を受けている。もちろん横に対して気持ちがないわけではないと思うし、口に出さないことは賢明な判断とも言えるから、賢いな聡いな、と思うわけだけど、涼さんがあんまりまっすぐことばにするから、ちょっと、たまに、瑞稀くんって「今」の涼さんのこと、どう思ってるのかなって、思ったりしていた。

 

瑞稀くん、涼さんのこと「頼れる」って思ってるんだなって、それを他のなんでもない、平面の雑誌の文章でもない、瑞稀くんの声にのせた彼の体温を纏ったことばでわたしにガッチンと届いてきて、収録なのに熱がバチンと今日のわたしの身体をグルグルと駆け巡ってどうしようかと思った。明け方の街に大きな涙混じりの声で叫びたくなっちゃったよ、「聞いたか、瑞稀くんってはしもとくんのこと大切に思ってるんだぞ」って。だいすきな涼さんがだいすきな瑞稀くんに愛されていること、信頼されていること、そのことがわたしにとってひどくひどくうれしかった。

 

涼さんから瑞稀くんへのことばは、今まで聞いてきたことそのまんまで、ただこれも涼さん自身の体温がぶわあってわたしに広がってくるあったかくてやわらかくてまっすぐなことばが、涼さん自身の声が電波と画面を通して突き刺さるみたいに飛んできて、もう、本当に勘弁してくれ〜……ってへなへなと蹲ってしまった。もうどうしたらいいかわからない。

涼さんのことばは、いつだって「はしみずの正解」だなあと、わたしはおもう。それはわたしが涼さんのことを過ぎるくらい信じているからかもしれないけど、雑誌を読んだときも、今回も、涼さんがくれるまっすぐで偽りのないことばは、彼らの正解だなあと思う。「いちばん信じている人は瑞稀」も正直相当こたえたけど、「相棒」って、ことばに、痺れて痺れて、わたしは……。涼さんのことばえらびは、彼自身だと思うからこそ、「運命共同体」も、「相棒」も、ぜんぶぜんぶ彼らを言い表すことばとしてドンピシャ100点はなまる大正解なのです。シンメというより、「相棒さん」。5人が好きということばをさんざっぱら強調しておいて、最後に「最高」ってまでつけてそんな言い方ないよ……。それはあんまりにも好きすぎるよ。

 

高校を卒業してしまった彼らがさびしくて、さびしくて、仕方がなかったのは、涼さんの言う通り背中合わせみたいに正反対なふたりを結びつける強固な糸をここで失ってしまうような気がしていたからっていうのも、たぶんあって、そんなのわたしのわがままでエゴで、子供でいてほしい弱くていてほしいと願ってしまう悪い癖なのは重々承知で、それでもさびしかった。いつまでもおなじ場所や同じ進路にいることが、イコール、おなじ未来を見ることだと勘違いしていることに気づきつつ、それを望んでしまっていた。

 

「これからもよろしく」とまるで俺らこれから先一緒にいるに決まってんじゃん、みたいな言い方されると、あんなHiHi Jets見せられてしまうと、わたしには「信じる」という道しか残されていないと鮮明に感じた。選択肢なんて初めからあるようでないようなものだ。感じた寂しさを打ち砕く熱が、そこにあった。HiHi Jets、それがわたしにとって至極幸せな道であることと引き換えにこれからの未来をぜんぶぜんぶ幸せにしてくれなくっちゃ許さないってひどい呪いをかけてしまうけど、許してほしい。

ローラーでスアーーーって出てきた時から最高が確定してしまっている猪狩さん、いつも通り耽美で精緻な笑みをたたえる作間くん、みんなを操って歌う瑞稀くん、曲中ですらどんどん魅力で溢れていく涼さん。みんな素敵で、かっこよくて、でもわたしは優斗くんがすっごくすっごくいい顔で、ハイハイジェッツポーズをしたことがなによりも刺さって抜けなかった。ことばにしない優斗くんの優しさと責任を感じつつすこしばかりの寂しさを感じたりしていた他担を殴るようないい顔だった。あれはHiHi Jetsの「正解」だ。5人とも最高で、最高で、これはもうHiHi Jetsが天下取るしかないなー!!!!

 

涼さんが愛するHiHi Jetsというグループも、瑞稀くんという必然な運命共同体の相棒も、これからもぜんぶぜんぶ、愛していきたい。

橋本涼さん、これはプロポーズなんですが、わたしは涼さんのファンになれて幸せです。愛しています。

「アイドル」で在り続けてくれる君へ

 

昨年の自分が書いた、この日に寄せたエントリを読みました。

 

アイドル14歳の神山智洋くんへ - 青の碧

 

この頃書いた言葉からいまも気持ちは変わっていなくて、昨年のあの日から今日まで、15年前のあの日から15年後の今日まで、わたしは愛する神山智洋くんというアイドルが誕生したこと、そしてその偶像が今もなお死んでいないことの双方に感謝していたいと思っています。

たぶんかみやまくんは、アイドルで生きる人。それってつまり、かみやまくんは自分の人生でお金をもらって生活をしているということなのではないか。言い換えれば自分の人生を換金価値のあるものにしないと生活を営めないということで、わたしだったら自分にそんな責任など負いたくないと思うので、やはり毎日流されながらでも、激流にのまれてしまっても、どんなかたちでもかみやまくんが「そこ」にいてくれることはかみやまくんの自身の莫大な努力の結晶にほかならないと思います。

 

なんのためにがんばってくれるんだろう。わたしは自分の単位のためですらそこまでがんばれない。堕落した人間だ。そういうわたしには、かみやまくんの努力の根源がわからない。好きになった頃から、今でも。

 

わたしはかみやまくんに幸せにしてもらっている、というよりは、勝手に幸せになっているという気持ちの方が強くて、ニアリーイコールではあるけど、線引きだけはしておきたいなと思う。いろんな人のしあわせを担って生きているかみやまくんには、わたしのしあわせひとつぶんなどたいしたことないのかもしれないけど、塵も積もればなんとやら、なのだ。ダスト マウンテンなのだ。

だから勝手に幸せにならせていただいてるわたしのしあわせは、かみやまくんがいないとまず始まりすらしなくて、でもかみやまくんがいるだけでも始まらなくて、つまりどこに行き着くかというとアイドルでいてくれることへの感謝である。

 

「変化し続けるアイドルでありたい」とか「残された半分はみんなを幸せにするためだ」とか「俺らは会いたい時に会える関係じゃない」とか、わたしの心のやわこいところをふと油断したときにかみやまくん自身の体温が乗り移ったみたいな言葉でふわりと撫でてくるかみやまくんが、わたしはだいすきでしかたないんですよ。かみやまくんはわかってるんだろうか、あなたのことが好きすぎて泣くしかない夜があるってこと、そんなオタクがあなたから遠く離れた地で生活を営んでいること。きっと知らないでいてほしい。知っていても知らないふりをしていてほしい。

 

かみやまくんがアイドルでいてくれる事は「辞めない」事の連続であると同時に、「続ける」という選択肢を取り続けているということであって、わたしは前者はもちろん後者のありがたみを易々と忘れてしまえるようなオタクではありたくない。だけどかみやまくんがアイドルでいてくれる事をいつまでも当たり前と思っていたい。永遠なんてないのはわかっていて、それでもわたしはかみやまくんに永遠を信じる。無責任なのはわかっている。だから年に2度か3度ほど、ありがとうとだいすきをここで叫ぶことを免罪符にさせてほしい。

 

かみやまくんの努力の根源がわたしみたいなオタクであれ、とは思わない。今日の晩ご飯のためでいい、その晩ご飯代のためでいい。お友達と遊ぶためでいいし、ゲームを買うためでいい。どんな理由でもいい。わたしからはその努力を「続けてくれる」という側面しか見えないから、なんだっていいのだ。あなたにずっと欺かれて生きていくから、だから、できる限りアイドルでいることをやめないでくれるとうれしいな。

 

かみやまくん、幸せですか?アイドルでやっててよかったって、1年で何度思えましたか?1度でも思えましたか?わたしはかみやまくんがアイドルでいてくれてよかったをかみやまくんに会うたびに更新して、もう全く手に負えないところまできていますよ。

かみやまくんは、オタクを幸せにすることがしあわせなんだろうか。もしそうならあまりにウィン・ウィンの関係だなあ、かみやまくんがしあわせならば、わたしはしあわせだから。

 

アイドル16歳のかみやまくんともしあわせのキャッチボールをしながら生きていけたなら、こんなにありがたくてあたたかくて、うれしいことはないですね。

 

神山智洋くん、入所15周年おめでとうございます。ありがとう。

切り裂かれては灯した未来は土砂降り

 

降りるとか降りないとかの話じゃないかなあって わたしはおもっている。傍から見てそうなのわかっているけど、わたしの中でそういうことにはなっていないので、これは「便宜上担降りと呼ばれる何か」でしかない。だけど、ひと区切りつけたいという気持ちに素直に行動するので、そこだけは「担降り」と変わらないかなと思う。

 

かみやまくんのことを元担だとかいう枠には、何がどう転んでも……天地がひっくり返ったって当てはめたくなくて、でも担当って呼ぶにはわたしは夢から覚めすぎたのかな〜と思う。

 

神山智洋くんという人をはじめて好きだと思ったときのことを今でも鮮明に覚えている。かみやまくんに初めて会いに行った時のこと、彼のパフォーマンスを見て腰を抜かしたこと、好きすぎて泣きながら夜を明かしたこと。ぜんぶわたしの細胞に織り込まれた情報みたいにずっとわたしの中にある。 たのしくていとしい時間だったのだ、わたしにとってのかみやまくんというひとは。

 

わたしはエンターテイメントについての浪費癖がひどいから、ひとりのひとを長く好きでいることに向いていない。保って1年、というところで、そんなわたしが2年半も好きでいられたのはひとえにかみやまくんがそれだけ魅力にあふれた人だったということでしかないなあと感じる。

かみやまくんにはいろんな感情を見せてもらった。好きで仕方ない人に会いに行くワクワク感もそうだし、知らない土地に降り立つ緊張感もそうだし、バスに揺られながらああわたしの目の前で起こっていた事はもしかして夢だったのかなと幻想のように感じる気持ちもそうで、かみやまくんを担当と呼んだ2年半はわたしの人生にいつだって「はじめて」をもたらし続けてきた。この先ずっと好きでいたい人に出会ったことならあったけど、この先ずっと好きなんだろうなとある種諦めに近いような確信をもったのはかみやまくんしかいない。たぶんこの先わたしが生きていく上でこんなことを感じるのはこの人だけなんだと思う。

ひとのダンスを見て腰を抜かすことなんて、後にも先にもかみやまくんだけにしか起こらない現象なんじゃないかと思う。こころの深層まで入り込んでくるみたいな歌声も、ギラギラした目つきも、パフォーマンスすべてがわたしのこころをとっ捕まえて離さない。にこにこして手を振っている姿がこれでもかというくらい好きだし、自分のファンかどうかしっかり見極めるところもすき。あの魔法の空間にいるときのかみやまくんの一挙一動はわたしにとって目がくらむくらいつよいひかりで、立ちくらみすらするほどのそれをあびると、わたしの身体をかたちづくる全部の細胞はこの人のことが好きだと全身全霊で叫ぶ。

 

わたしは元々オタク気質と呼ばれるそれを持っているから、きっとこれからも大して変わらないんだと思う。好きなものは好きなので、好きなものを好きと言って生きていこうと思う。同じ夢は見ていると思うし、これからも……これからもそうであればいいなとは思う。WESTやかみやまくんのこの先を願う気持ちは純であるし、そこに偽りなんてものは存在しようがないけれど、自分の気持ちの変化を認めないではいられないのがわたしなので、そういうことかな。「好き」のうしろに「だから」じゃなくって「だけど」が来るようになってしまったわたしは、ひとり少しだけ夢の輪っかから外れてしまったと思うから、外れてしまったことだけは認めようって思う。いつかどこかで見た、「好きの気持ちは無限だけど、時間やお金は有限」ってことば、何となく思い出してしまって、罪悪感なんてものはスパイスと呼ぶには不相応だから、わたしはそういうのを濾過してこれからもたのしくいたい。何より自分を認めることがたのしさに繋がるのかなと最近やっときづいたから。

 

WESTVとっても楽しかったなあ。たのしいなあ。WESTやかみやまくんが創る世界は本当に最高だから、これからもすこしずつそれを享受して、この先もWESTとにこにこできたらいいなあ。

深夜3時、シャワールームのにじいろのひだまり

ドリンクバーのぬるいんだかつめたいんだかよくわからないココアでさえも愛してしまえるような……そうやってぜんぶをゆるしてしまえるくらい楽しい空間っていうのはこの世に存在するんだなあって思った。たのしい。そう、よく考えてみたらいつもそれだけを胸にも目にもじりじりといやになるほど焼き付けてきたのに、いつの間に忘れてしまうんだろう。時って無常で残酷でやさしくて、だからこそ今回こんなにあの空間が楽しいって感じられたんだと思うよ。

 

無欲の勝利とはよく言ったもので、何となく申し込んだ公演は当たるし、QRコードをかざした先は今までで見たことがないくらい開けた視界だったので、いつもよくまみれで必死になっている自分が幾分滑稽に思えて笑ってしまった。神様を信じてるかどうかは自分のことながら自分でもわからないけれど、こういうことがあると神様っているのかもしれないしその神様とやらはわたしのことをよぉく見ているなあとさえ思った。こうして欲が出たので、もしかすると、何かを望んだとき、それを手いれることがむずかしくなったかもしれない。でも欲が出るのは好きだからで、別に誰と比べてるわけでもない、自分の絶対値で叫ぶのでしかたなくて、そんで、そう好きにさせるきっかけを作ったのは神様、あんたなのに、ちょっぴり卑怯じゃないの?…...ちょっと話が脱線しました。

 

わたしのすきなひとは、いや、すきなひとたちは、たぶんだけど……すごく「人を楽しませる」ことに向いている。というよりは、その能力もすごいことではあるんだけど、「巻き込む」力をこれでもかってくらいもってるんだと思うな。在宅気味で、意思も財力も弱いわたしみたいな人間の「ほか」の体験なんて微々たる門だけど、こんなにもひとりひとりに届くコンサートってないなあって思う。彼らと私たちを阻むものはたぶんなんにもない。そう屈託なく思えてしまうくらいには、わたしは彼らと通じ合ったと感じているし、何か「元気」と呼べるかもしれないパワーを送ったと思っているし、莫大で壮大で、やわらかくてあたたかくてつよくて、そういうパワーをもらったって確信にも似た気持ちになる。この世界中の何よりまっすぐわたしの胸をつく「矢」がたくさんたくさん飛んでくるから、ねえ、たまらない気持ちになってしまうよ。どこの射手座がその矢を放ったことやら。まったくすきすぎて困ってしまう。矢は毎度急所に突き刺さるので、わたしはあの7人のにじとやらがだいすきだって、浅く息を吐くたび魔法にかけられたように思うのだ。ジャニーズWESTさん、ねえ、最高に大好きだよ。

 

「アイドルをする」すきなひとを見るのは、実に1年ぶりのことだった。好きな彼はこれだと興奮して、わたしこんなところで泣きそうだよ。彼のことをすきでいたいわたしと、ほかに興味があるわたしが拮抗していてどうしたらいいのかわからなかった最近は、投げやりだったと同時に不安でしかなくて、でもこんなにも彼のことがすきなんだもの、心配する必要なんかなかったなあってやっぱり思う。理解ってたけどさ、体感はしてなかったから、ね、感じたらやっぱりそうだなあって思うよ。わたしの身体の細胞ひとつひとつに丁寧に組み込まれているかのようだって今日改めて思った。魅せる彼に魅せられることは、もはや本能としてのよろこびですらある。目を閉じたらね、今日は疲労で寝てしまいそうだけど......そうだね、明日の夜目を閉じたら、たぶん今日のあなたのことを鮮明に思い出してしまうんだろうな。大好きだってヒンヒンないてしまうんだろうな。ねえかみやまくん、責任とってずうっとすきでいさせてね。

すきなひととシンメトリーを組みがちなセンターのあかいひと。「明日をたのしみにできるのはすばらしいことです」って言っていて、そのすぐ前にはね、「みんなのおかげで明日が楽しみです」ってことばをくれました。なによりもそれがひびいたんだよ。それから、これはニュアンスだけど、ちょっとつらいことがあったとき、今日のこの景色を思い出せたらいいねって、そんなようなことを彼は言っていた。あーもう本当に、そんなのすきですきで、むねがぎゅうってなっちゃうじゃんって思った。すきじゃないとでも思ってるのって。わたしは今日の景色を思い出すとき、あなたのことばの温度も意味も、ぜんぶぜんぶぎゅうって濃縮して思い出すんだろうって思ったよ。しげおかくんのことばはアルバムですね。

 

言葉通りに実寸大の彼らを見ていて、魂まで実寸大なのかよって、最高だなって思ってしまったから、結局わたし、ジャニーズWESTがすきみたいだよ。セトリ別のぐだぐだしたおぼえがきという名の感想は、ご縁あって入らせてもらう次の公演のあとにとっておきます。あ~ほんっと、好きな人たちが天才すぎて困っちゃうね!

世界恣意的愛

 

涼さんの輪郭をふちどる「かけら」をふと手に取った時、楽しいような、嬉しいような、なんだか不思議な気持ちになる。見えないものが見えたこと、見えないものがまた見えなくなったこと、その「かけら」で知った気になること、それでもやっぱりぜんぜん知らないと気づくこと、そのどれもがどうしようもなくわたしのこころをあたためていく。オノマトペとしていちばん近いのは、たぶん「ウキウキ」だ。涼さんを知ることは、ウキウキすることなのだ。

知らないでいるのに知った気になって、知ったような顔をして彼のことを話すのはひどくたのしくて、彼がくれる虚像とわたしが持っている彼のかたちをした虚像に解釈違いが生じない限りはきっといつまでもそれが「たのしい」のまんまなんだろうなあと思う。

 

わたしは彼型の虚像を内腔に持っているけど、彼がどんな人か、と問われるとそれを言葉にするのがむずかしくってしかたない。脳内にちっぽけながらも語彙工場はあるはずなのにその生産レーンは全く機能しなくて、ただわたしはかけらをひろうとき、「これがこの人だ」と思うだけ。そのかけらを彼だと認識できる部位がなんなのか、ぜんぜんわからない。ひとから借りてきた誰のためなんだかわからない言葉にはできても、わたしの内腔の虚像にストンと当てはまることばは出てこなくて、つまりわたしは橋本涼がわからないのだ。唯一わかっていることは、彼の容姿が果てしなく好きということだけだよ。

わからないからたのしいと思うし、知りたいと思う。どうしようもなく好きだと思うところがなんなのか、どこなのかわからなくて、たぶんわたしはずっとそれを探し求める旅の序章のまま進めないんだよなあ。

 

どのくらいの負担をかけているのだろうか、とたまに思ったりする。それはわたしが測り知ることではないし、彼が見せるべきことでもないし、見せてほしいなんて思わないけど、「クリスマスにデートなんて夢のまた夢」なんて言われてしまうと、足枷をはめてしまっている気分になる。それをつけているのは彼自身で、涼さんもわかっているからそんな発言が出ると思うんだけど、「クリスマスにデート」という言ってみれば「ふつう」をできないことを改めて本人から思い知らされる。その足についているのは、ちゃんとアンクレットなんだろうか。足枷になってはいないだろうか。

休みたい時に休めないし、ひとつ仕事が終わったからと言って息をついていい環境でもないし、変化の中で変化と不変を保ち続けなきゃいけないし、そういういろんな「必要」に追われて生きてきてるんだろうなあ。せめてそれが彼にとっての「ふつう」になってしまっていたらいい。そう思ってくれている限りは、足の飾りはまだアンクレットだと思うから。

好きなことをしてくれたらいいなあと思うし、好きなことを夢にしてくれたらいいなあと思う。アイドルでなくなった涼さんに興味を持てるかなんて今わかることじゃあないけど、進みたい道を見据えた時その足についた輪っかが足枷になるのなら、外してくれて構わないと思う。でもそれと同じくらい、わたしはいつまでもその「アクセサリー」の輝きを追いかけていたくて、支離滅裂だけど、つまり彼のアイドル人生ができるだけ長く続けばいいなあと思うということです。わたし、涼さんはめちゃくちゃアイドルに向いてると思ってるし、アイドルの才能あると思ってるからさ。あなたよりアイドルする人、わたしほかに知らないからさ。ね。

負担を負担と思うな、と言いたいわけではなくて、感じる負担は少しでも小さければいいとか過保護なことを思ってしまうんです。今更心配されることでもない、なんて一蹴されてしまいそうな気もするけれど。

 

どんな些細なことにも感謝を見つけられるところが好きで、それを伝えたり表したりする時に言葉選びを恥ずかしがらないところも好きで、たぶん特別でもなんでもない日常的なことなんだろうなあって思ってしまうくらい、そういうのがほろりと会話に出てくるところが好きだ。わたしね、涼さんが自分と瑞稀くんを「運命共同体」と言ったこと、一生忘れられないと思うんだ。素直で聡くて捻てるけど擦れてない涼さんだから出てきた言葉だと思う。運命共同体って、それ、涼さんが行くところには瑞稀くんもいて、瑞稀くんが見る未来は涼さんが見る未来ってことだよ。涼さんにとって、瑞稀くんはそんな存在で、わたしはわたしのすきなひとがそんなふうに思える人が瑞稀くんであって本当によかったと思うしすごくうれしい。人が生きる中でそんなこと感じられるのなんて、きっとほんのひと握りだから、涼さんにその相手がいること、それを伝えてもらえること、全部うれしいよ。

衣装をたくさん作ってもらってうれしかったとか、ゆうぴーはハイハイのこと考えてくれてるから愛を届けたいとか、しーくんやしめちゃんがデビューしたら泣いちゃうだろうなとか、なんか、そういう「かけら」があんまりに好きで、感情が涙になるしかないときがある。涼さんって本当人情深い人なんだろうなあ。受け取ったものを真っ直ぐ返すことにもそれを伝えることにも照れがなくて、そこはかとなくまぶしい人間だなあって思う。

 

わけわからんこと言うところも好きで、自分で自分の発言に爆笑してるところとかこの人本当頭おかしいなって思って腹の底から声出して笑っちゃうし、それなのにリカバリー力は高くて周りが見えてて臨機応変に対応できちゃうんだもんよ〜。いつだってわたしが理解するには到底及ばないんですよね、橋本涼さんは。あーあ、たのしいなあ。

 

ぜんぜんまとまらないんだけど、要はわたしが涼さんのことを好きという話で、その好きな人が今デビューを目指しているというのならわたしはその未来しか見たくないな〜と思う。アリーナツアーでもドームコンサートでもなんでもやろうね、きっと叶うよ。ファンだから無責任なこと言っちゃうよ、ファンだから。広い会場がペンライトの青色で埋まるのはいつかなあ、待ち遠しいね。

必須科目:幸せ

先月さよならを告げたつもりのひとのことを、今更やっと知った。わたしの中で引かれていた線は、おおきな波にのまれて消えてしまいそうだ。ちいさな波が押し寄せるたび、線の端からじわりじわり侵食されていくのを感じていたけど、もう限界かもしれない。区切りをつけたと思っていた。思っていただけだったみたいで、そして短期間でわたしにそれはそれは深い爪痕を残したそのひとのことをなんでもない気持ちで見ているなんて無理な話だったみたいだ。もっと前に知っていたかったなあと言うのは、あんまりにわがままだろうか?ごめん、許してください。それでも好きなんです。

 


末澤くんは、大学に行っていたらしい。そんなことすら知らなかった。わたしが出会ったときの彼は22歳で、そうか、あのとき卒業のタイミングだったのか。2年も経ってから知るなんて間抜けだね。でも今じゃなかったらたぶん たぶん知ることはなかったと思う。


ちらりと小耳に挟んだりしていた末澤くんの「仕事がなかった時期」の話を本人が話していた。小耳に挟んでいた程度でどのくらいの期間仕事がなかったのかとか、本人がどう思っていたのかとか、やっぱりなんにも知らなかったわたしは、ガチンと杭を打たれたみたいだった。十字架に磔になったような、なったことがないからわからないけど、例えるならそんな気分だった。誰に向けて晒しあげられているわけでも、誰から晒しあげられているわけでもないけれど、たまらない気持ちになった。末澤くん、末澤くん、そんな気持ちだったんだね。知らなかった。

仕事を辞めたいと思ったことはあるだろうと想像するのと、そう思ったことがある、辞めようと思うとマネージャーに伝えたと言われるのとは、ぜんぜんちがった。辞めたいって思わないのかなあって、ふと、悲しくなるくらいふと思ったことがあったけれど、それとは比べ物にならないくらいの息苦しさだった。過去のことだから、過去のことになっているから申告できることなのだと思う。現在について語るにはあんまりに不利というか、不安定というか、そういう立場だと思うから、きっとそんなこともあったねと話せるくらいの「過去」なんだとは思う。末澤くんは、人前に立つ人格を捨てようとしたことがあって、もし、もしそうなっていたらわたしの人生どのくらいちがったんだろう。そんなときだってわたしは自己中な人間だから、末澤くんがいなかったとき、出会えなかった時のわたしの人生を考えた。たぶんわたしは、わたしは こんなに苦しい思いをしなくて済んで、だけど、こんなに愛しいと思うひとに 幸せになってほしいと心の底の底から願えるひとになんて出会えなくて、こんなに泣いたりなんてしなかった。

愛おしくって、幸せになってほしいってなんでもない夜に思うこと このひとがしあわせになってくれたらこの世界どんなに愛せるかなって布団をにぎりしめること 苦しいならばいっそ嫌いになってしまいたくて歯ぎしりしながら泣くこと 全部なかったんだと思う。わたしの人生豊かにしたのは、明らかに、明らかに末澤誠也さん、あなたです。苦しさも切なさも、喜びも嬉しさも、感情ぜんぶ100倍にも1000倍にもしてくれたのは、末澤くん、君でしかないよ。

ねえ、ねえ、大学2年の末澤くん。辞めないでいてくれてありがとう。20歳の末澤くん。人生の分岐路に立って、それでもマネージャーさんの言葉に引き止められてくれて、本当に本当にありがとう。受けてみるかってそれでも思ってくれてありがとう。末澤くんは愛されるべきひとなんだよ。

 


ファンの人が思っている何百倍も強いなんて、それを口に出せる末澤くんは、きっとわたしが思ってる何億倍も、それ以上にだって強いんだろうなあって思う。見くびっててごめんね。しんどいなかでも誰かを笑顔にする仕事。そうなのかもしれないし、その言葉を投げかけられる文一くんも、その文一くんの言葉を大事にできる末澤くんも、どっちも素敵でだいすきだけど、それでもしんどいときはしんどいって言える場所があってほしいよ。それがわたしみたいなファンの前でなくってもいいから、泣きたい時は泣いて、嫌な時は拒否して、そういう子供みたいに駄々こねるときがあったっていいんだよ。そうあってください。人間であるところを殺してまでステージに立ってくれていること、これでもかってくらい知っているから、だから、だから。人間であること、忘れたりしないようにするから。ありのままであれる場所を持っていてください。見つけているなら、見つけたなら、必ずしがみついて離れないでください。

 


めそめそしていたわたしが弱かっただけみたいだ。末澤くんはずっとずっと強くて、ずっとずっと前を向いていた。心配してくれている人もいるかもって、でも切り替えて前を向いているよって、チャンスだと思ってるって、そういうところが好きなんだと思った。わたしは、わたしはあなたの、大事な時に大事なことばを包み隠さないでそのまんまストレートを伝えてくれるところがだいだいだいすきだよ。幾度となく救われてきたよ。


弱虫で臆病で自己中で、だめなところばっかりのわたしだけど、末澤くんのことまだ応援していたい。担当とか、そうじゃないとかわからないから、出戻りって言われるのか言っていいのかわからないけれど、それでもわたしがいちばん幸せになってほしいと願うひと。それが末澤誠也さん。

末澤くん、このことば、今まででいちどだって贈っていなかったね。情けないけど、いまさらだけど、いちばんがひとりじゃないかもしれないけど、いわせてください。


あなたのことがいちばんすきです。幸せになってください、必ず。