ギブ マイ ブラッド フォーユー

 

友人と別れてぽつりぽつりひとりで歩いているとき。その日の労働を終えて冷たい風を切りながらペダルをふむとき。もうすっかりなれっこになったひとりでの食卓をふと見下ろすとき。眠気に抗えなかった夜を客観視するとき。

虚空がわたしのなかで、突然おんぎゃあと産声をあげるとき、わたしはよくアイドルとアイドルを消費する自分自身を考える。虚空を応援しているからこそ それは虚空がうまれたときの拠り所になっている気がする。

 

去年の秋。わたしはにじいろを謳う7人のことがただひたすらに好きだった。たしか去年も10月にツアーが発表されて わたしは彼らのそれにはじめて申し込むことができて うれしくて 落ちる当たるの二極化された世界におののきながら それでも申し込むという形で既に参加できたことがやっぱり嬉しかった。その前の秋は自分のことでせいいっぱいだった。その前の前の秋は…そうだ 年の終わりにそのころすきだった9人の天使みたいなひとたちに会いたくて色々奮闘していた。考えてみたら、秋はわたしにとって、すきなひとたちに会う準備の段階を踏むための季節だったのかもしれない。そんな意識はこれっぽっちもなかったけれど。

 

今年の秋。わたしはそのふかふからしい高級な絨毯をわたしの足でふむことも感じることもなかった。その重厚な外装を見に行くこともなかった。なかったというよりは できなかったというほうが正しい。わたしにはそのドリームチケットは「ご用意されませんでした」だった。上演の時を同じくしていた舞台に足を運んでいたからか…いや、全く関係ない気はするけど それをそのときはなんとも思っていなくて そのあともなんとも思っていなくて 今はすこしだけ 悔しいと思っている。本当はすこしじゃないけど、終わったことをあれこれ言ってもと大人ぶりたいから、すこしと言わせてほしい。わたしの手元にはそのつるつるの厚紙はなくて、それを点線で折り返したりすることも もぎられたりすることもなかった。17歳のわたしのすきなひとを見られるのはそこが最後だったと気づいたのは 終わって随分経ってからだった。17歳がしんでいく様を見られたのは 17歳がいきている様にはじめて触れた夏が最後だったんだなあと思った。そうかあ、17歳に触れたのは わたしはあの夏のあの地下の小さなハコが最初で最後だったんだなあと 虚空が誕生したとき その気持ちもぼんやりとラピュタみたいに宙に浮いてそのまま 今も行き場を失っている。秋を終えて冬に差しかかった今 彼は18歳として生きながら18歳を毎日ころして19歳に向かっている。

真ん中に立たない 立てない そういうしにゆく17歳の彼を見られたならば わたしはどういうきもちになっていたんだろう。好きに襲われていたかな。彼が創るあお色のドリームランドにすっかり飲み込まれていたかな。有と無が最大限に混じり合う0という数字を彼が背負わないことに、ひどいジレンマを感じていた可能性だってある。もう一生わかり得ないことだ。絶対に叶わない「もしも」をわたしは何度も自分に問いかけて あるんだかないんだかよくわからない傷口に塩をていねいに塗り込んでいた。じぶんのことなのに、傷口の有無がわたしにはわからなくて、それが痛いのかどうかも涙が出るほど染みるのかどうかもわからなかった。ただ、ドリームランドは、少なくとも2018年のそれは、わたしの中でこの先ずっと存在しない。それだけが明確で白日のもとに晒された事実だ。

 

どこまで行けるかなんて誰にも決めさせないと歌う画面のなかのその人を見たときに はじめて涙が出た。くやしいと思った。他人と比べてとかそういう劣等感じゃなくて わたしはわたしがその絨毯を踏めなかったことが その座席に腰をおろせなかったことが それ自体だけがどうしようもなく 同時にとてつもなく悔しくて悔しかった。わたしはこの人が作ってくれる どこまでだって現実の ゆめの世界の住人になりたくてしかたなかったのに わたしにはその権利はなかったということに今更ながら気づいた。チケットがない人には入場の資格はない。至極当たり前で残酷で わたしを傷つける棘を幾重にも装備したひどいかたまりだと思った。くるしいと思った。棘は喉元を通り過ぎることもなく 熱さを忘れさせてはくれず ああわたしは9月からずっとずっと息苦しかったんだなと気づいた。ギラギラとした閃光を画面越しに投げつけられて ぐるぐる悔しくて 苦しくて すごくすごくいやだった。そんなおもいをしてまでも わたしがわたしを傷つけてまでも うしろに光以外の何を背負うでもなく 翼みたいなローラーを自在に操ってステージという地を踏んで にやりと闘志をのぞかせるまっくろくろすけみたいな人工の色の髪をしたそのひとを嫌いになれなくて それどころかどうしたって好きで、アンタ むちゃくちゃ彼のこと好きじゃんと 別人格のわたしがわたしを嘲笑っていた。大量の血を流してようやくはじめて わたしはその血のあたたかさに気づいた。それはとても鮮やかな赤色をした動脈血だった。

 

なんにも考えてこなかったとはいえ それでもオタク10年選手になろうかというわたしだけど 今でもやっぱりそういう傷には慣れない。家庭環境とか 自分自身の精神問題とかポリシーとか そういうのを加味するとわたしはもしかすると他人よりそうやって傷ついた回数が多いのかもしれないけど、好きでいる限り慣れる日は来ない。虚無がわたしを支配した時 その傷口の数に驚いてしまうことがあるし そのどれもがずっと生キズのままうっすらとした膜だけが張った「ギリギリセーフ」の状態でわたしのこころのあちこちに存在している。なにかきっかけがあればその薄膜は簡単に剥がれてしまうし 何年経ったとて上から触れば痛いし 些細なことで血は流れるし ただそれに気付かないふりをするのがだんだんと上手くなるだけだ。痛くったって痩せ我慢をすることが普通になるだけだ。これからもわたしに向けて「ご用意できませんでした」の矢は数え切れないくらい飛んでくるんだろうし そのたびに傷つくんだろうし わたしが行けないそんなステージなんてなくていいとか自己中心的なことも思うんだろう。解決方法なんてない。あってもこれから先もずっと知らないままだし 知っていたとしてわたしにはできないことな気がする。傷ついたことに気付かないふりはできるようになっても そもそも傷つかないことなんてできない。だってオタクは というより少なくともわたしは、すきなひとがそこにいるのをいつだって確かに感じていたい欲深い人間だから 何回だって血を流す。懲りろよと思う。でも懲りたらそのときわたしは オタクという人格を捨ててまたなにか別のものを武装して生きていく そういうタイミングなんだろうな。今は懲りないで何回だってその矢に丸に丸腰で立ち向かう。まるごとひっくるめて それがわたしの自己満足な愛だから。

 

いつかこの先 この傷がかさぶたになるとき 傷跡の数を見て馬鹿だなあと笑いながら泣けたら きっとそれがわたしが彼らを愛していた存在証明で その涙のあたたかさに気づけたら もしかすると幸せだったと全部肯定できるのかもしれないな。