「アイドル」で在り続けてくれる君へ

 

昨年の自分が書いた、この日に寄せたエントリを読みました。

 

アイドル14歳の神山智洋くんへ - 青の碧

 

この頃書いた言葉からいまも気持ちは変わっていなくて、昨年のあの日から今日まで、15年前のあの日から15年後の今日まで、わたしは愛する神山智洋くんというアイドルが誕生したこと、そしてその偶像が今もなお死んでいないことの双方に感謝していたいと思っています。

たぶんかみやまくんは、アイドルで生きる人。それってつまり、かみやまくんは自分の人生でお金をもらって生活をしているということなのではないか。言い換えれば自分の人生を換金価値のあるものにしないと生活を営めないということで、わたしだったら自分にそんな責任など負いたくないと思うので、やはり毎日流されながらでも、激流にのまれてしまっても、どんなかたちでもかみやまくんが「そこ」にいてくれることはかみやまくんの自身の莫大な努力の結晶にほかならないと思います。

 

なんのためにがんばってくれるんだろう。わたしは自分の単位のためですらそこまでがんばれない。堕落した人間だ。そういうわたしには、かみやまくんの努力の根源がわからない。好きになった頃から、今でも。

 

わたしはかみやまくんに幸せにしてもらっている、というよりは、勝手に幸せになっているという気持ちの方が強くて、ニアリーイコールではあるけど、線引きだけはしておきたいなと思う。いろんな人のしあわせを担って生きているかみやまくんには、わたしのしあわせひとつぶんなどたいしたことないのかもしれないけど、塵も積もればなんとやら、なのだ。ダスト マウンテンなのだ。

だから勝手に幸せにならせていただいてるわたしのしあわせは、かみやまくんがいないとまず始まりすらしなくて、でもかみやまくんがいるだけでも始まらなくて、つまりどこに行き着くかというとアイドルでいてくれることへの感謝である。

 

「変化し続けるアイドルでありたい」とか「残された半分はみんなを幸せにするためだ」とか「俺らは会いたい時に会える関係じゃない」とか、わたしの心のやわこいところをふと油断したときにかみやまくん自身の体温が乗り移ったみたいな言葉でふわりと撫でてくるかみやまくんが、わたしはだいすきでしかたないんですよ。かみやまくんはわかってるんだろうか、あなたのことが好きすぎて泣くしかない夜があるってこと、そんなオタクがあなたから遠く離れた地で生活を営んでいること。きっと知らないでいてほしい。知っていても知らないふりをしていてほしい。

 

かみやまくんがアイドルでいてくれる事は「辞めない」事の連続であると同時に、「続ける」という選択肢を取り続けているということであって、わたしは前者はもちろん後者のありがたみを易々と忘れてしまえるようなオタクではありたくない。だけどかみやまくんがアイドルでいてくれる事をいつまでも当たり前と思っていたい。永遠なんてないのはわかっていて、それでもわたしはかみやまくんに永遠を信じる。無責任なのはわかっている。だから年に2度か3度ほど、ありがとうとだいすきをここで叫ぶことを免罪符にさせてほしい。

 

かみやまくんの努力の根源がわたしみたいなオタクであれ、とは思わない。今日の晩ご飯のためでいい、その晩ご飯代のためでいい。お友達と遊ぶためでいいし、ゲームを買うためでいい。どんな理由でもいい。わたしからはその努力を「続けてくれる」という側面しか見えないから、なんだっていいのだ。あなたにずっと欺かれて生きていくから、だから、できる限りアイドルでいることをやめないでくれるとうれしいな。

 

かみやまくん、幸せですか?アイドルでやっててよかったって、1年で何度思えましたか?1度でも思えましたか?わたしはかみやまくんがアイドルでいてくれてよかったをかみやまくんに会うたびに更新して、もう全く手に負えないところまできていますよ。

かみやまくんは、オタクを幸せにすることがしあわせなんだろうか。もしそうならあまりにウィン・ウィンの関係だなあ、かみやまくんがしあわせならば、わたしはしあわせだから。

 

アイドル16歳のかみやまくんともしあわせのキャッチボールをしながら生きていけたなら、こんなにありがたくてあたたかくて、うれしいことはないですね。

 

神山智洋くん、入所15周年おめでとうございます。ありがとう。