花ひらく、

どんなふうであれ、ひさびさに彼は生きているなーと思う瞬間に立ちあって、あーやっぱこの人だなあと思った。画面を通してしまったらだいぶ違うんだけど、わたしがすきなのはお家で都合よく切り取られたちっちゃな液晶を眺めることではなくて、粗削りでもなんでもいいから処理しきれないくらい彼のことだけ見つめる時間だなあと改めて思った。

もうすぐ好きになってから季節が一周する。彼も私もひとつ年を重ねた。涼さんはふわり、と花びらがのびをするみたいにきれいに笑う人になった。

前の春は、もうすこしあどけなく、幼く笑う人だった気がする。いつの間にそんなきれいな人になってしまったんだろうか。

 

17から18なんて、変わらないでいることの方が少ないのに、変わらずいてほしいと願ってしまうことの方が多くって、ずっとずっと子供でいてほしい、弱くあれというエゴが心のどこかでいつも顔をのぞかせている気がしている。仕方ないかなと思う。好きになったときの顔、忘れたくないし。

粗削りであればあるほどその粗さが愛しくなること。きれいに笑う涼さんを見て、そんな姿に心を打たれながらも、そうだなあ、例えば夏の記憶、涼さんのあの「未完成さ」に少しすがるみたいに自分のこの手を伸ばしてしまうのを実感した。どれだけダンスのテンポがみんなより早くたって、低めの音は少し安定しなくたって、それが愛おしかった。できないね、頑張ろうねって安心していた。

 

もう子供じゃないのかもしれない。大学に進学して、たぶんこれからもっと進路は増える。ひとりでできることだって増える。1人暮らしも始めたかもしれない。履修登録はできなくたって、講義を受けるようになる。好きになってからずっと追いかけてきた背中にある翼は、とっくのとうに大空にはばたけるくらい大きくなっているのかもしれない。

 

綺麗に笑う人になった。本当にそれが印象的だった。

 

いつだってまっすぐで素直な言葉も、ちょっぴりどころじゃなくてあほなところも、全部愛しくて、好きになったころからひとつも変わっていないなって思うけど、ただひとつ、きれいに笑うようになったんだ。本当に花開くように笑うようになった。目で見る涼さんがすべてだって思ってるんだけど、知らないうちにきれいな人になっていた。

努力のたまものだ、きっと。

ダンスがうまくなったね。歌も、表情がのるようになったんじゃないかな、声質生かした歌い方をするようになりましたね。ローラーもきっとうまくなっているんでしょう。ピアスもつけるようになって、髪を染めたって怒られる立場ではなくなったし、もう、もう子供だなんて勝手に守りたくなっちゃってる場合じゃないのかもしれません。

 

でも、今はまだもう少し、年下の可愛い子って思わせてほしい。きれいになった涼さんも愛しているけど、まだご飯に目をキラキラさせちゃうところとか、聞こえてきた単語を反芻してしまってえへへと笑ったりとか、ほら、髪染めたんだよねやばいよね~ってなんかしらんけどどこか他人事なところとか、そういうかわいさをかきあつめてよしよししちゃうけど、許してください。

 

 

大人になっていく様をこれからみられるのかと思うと、ちょっぴりだけ寂しくて、せつないけど、それ以上にすっごく楽しみにしているから、今のこの瞬間を目いっぱい愛しく大事にしたい。

 

いつだって今の涼さんがナンバーワンでだいすきなことには変わりないので、やっぱり好きなように生きてね。