2019/10/30

 

自担ってどんな存在なのかっていうこと、つまり橋本涼くんがわたしにとってどんな存在なのかっていうこと、いやでも考える1ヶ月半だった。答えが見つからないまま過ごしてきた。ただ漠然とだいすきなアイドルが見当たらない生活に絶望して、その絶望に「まだわたし彼のことちゃんと好きなんだ」と安心を覚えて、埋まらない溝は埋まらないまま日々を過ごしている。彼のことを考える時間というのはきっと格段に減った。元々多くはなかったけれど、考えたくないと思うことすらあったので、脳内を彼が占める頻度は下がらざるを得ない。嫌いになってしまえたらいいんだろうと思った。他でもない自分のために彼を好きでいるわたしのために。彼が向かうこの先の1年はきっと荒波で、きっときっと、見ていられないと思うことだってあるはずだ。ラストティーンをきっと華々しくは彩れないだろう。それが彼の犯した「怠慢」であり、「間違い」である。

わからない1ヶ月半だった。のこり2ヶ月ほど。きっとわからないまま終えてしまうだろう。彼が帰ってきてくれたその場を嬉しいだなんて思えるのか、待ってたよって言えるのか。でもわかる。夏と同じ気持ちであなたのことが好きだってそれだけは、滑稽なくらい橋本涼くんというステージ上のアイドルが好きなわたしは、彼がそうしてくれている限りは言えるだろう。惨めなくらい好きだ。裏切られた感覚はないけれど、どれだけ裏切られたとてわたしは彼がアイドル然とステージに立つ限り、彼の姿を目で追わないではいられないだろう。理由はひとつ。なんでかわからないけどアイドルをまっとうする彼のことがすごくすごく好きだからだ。

 

彼のことを好きでいると視野が狭まる。わたしと彼だけの世界で彼の偶像を構築しているからだ。そこに齟齬はないから、ほかの誰も入ってきてほしくないし、入る隙なんてないんだけれど、他人のその世界を時折覗き見るのがすごく好きだ。彼がとってもとっても愛されているからだ。好きな人が受け入れられる世界は嬉しいし、やさしいし、たのしい。それが浮き彫りになるのが今日という日だと思う。あなたが生まれた日。歳を重ねた日。こんなにも愛されていて、こんなにも応援してる人がいて、こんなにも、こんなにも惹き付けているんだなって、実感として感情を得る。自担の誕生日が好きだ。何気ない日がこれでもかと煌めき出してしまうから。

 

涼くんがどんな人かなんて知らない。わかろうとも思わない。でも自然体で飾ることを知らないのかと思うほどにまっさらであろうとする人だと思うから、わたしが断片的に受け取ったもの、それを彼の人となりとしていいのならば、きっと優しい人なんだと思う。彼を動かすのはいつだってその莫大な優しさだ。発言も、行動も、いつでも優しい。気遣いに満ちている。頭ごなしに否定しない。フォローする。肯定を見つける。伝わりづらい部分なのかもしれないけれど、わたしは彼の優しさのピースを見つけ出して心にはめ込む瞬間がこの上なく好きだ。この人のことを好きになったのは、ぜったいに間違いでなかったと思う。

あとそれから、とってもとってもかわいらしいところが好きだ。おちゃめで、楽しいことが好きで、こうしたい!と思ったことを時々子供みたいに気ままに実行してしまうところがかわいくってしかたない。楽しそうににこにこしていたり、はたまた楽しくなさそうにしていたり、美味しいものは美味しいと言いながらがっついていたり、いとしくてたまらない。人間らしさを隠さないところがとってもとっても好きだ。

 

自担ってどういう存在か。愛しく思う人。大好きな人。見つめていたい人。全て当てはまるけれど、もうひとつ、わたしはわたしの日々の些細なところを彼の色で縁どってくれる、そういう存在だと定義づけたい。どんなに普段忘れていても、小さな小さなトリガーを引くだけで世界が途端に広がって、そういう魔法をかけてくれる人がわたしにとって橋本涼くんという人だ。もうとっくに大好きになってしまった。どうしたらいいかわからないくらい、好きになってしまった。好きでいられてよかったと、今は言えないけれど、いつかまた屈託なく言いたい。

 

橋本涼くん、19歳のお誕生日おめでとうございます。良き1年になりますように。