ファンキー旅行記 第8版

理由も形もなんでもいい。行っておいでとか、がんばってとか、そう言って背中を押せるようなファンが正しいのかもしれない。駄々をこね、いつまでもあの頃に戻ってくれと縋るような人間、もうファンですらないのかもしれない。

それでもわたしは背中なんて押せないしあったかもしれない未来を夢見ることをやめるなんてできない。戻れるならば戻ってほしい。

 

いい子のフリをするなんて、そんなのはぜったいに無理だ。

 

 

 

 

 単独公演をしたい、って言葉が、今でも呪縛のように心に鎖をかけている。その夢が叶うより先に、そのグループの輪は解かれ、ひとりは一般の者となり、ひとりは振付師となり、そして、わたしのすきなひとは、一足先に単独公演を行っている。

信じていた。別に理由とかなくて、でも理由とかないのに強気で同じ未来が見えていた8人を、わたしは信じていた。すえざわくんを通してはじめてジュニアを好きになったわたしは、ジャニーズジュニアって、こんなこと言っていいのかとさえ思った。明日すらわからない中で、そんな容易に期待させるようなこと、言っていいんだろうか。そんな驚きを吹き飛ばすみたいに彼らは笑って8人をわたしに約束してくれて、メンバーカラーまでたのしそうにたのしそうに決めていた。

 

好きになったタイミングがただただ悪かったなと思う。四季を二周戻したあの春じゃなきゃ、わたしは彼を好きにならなかったと思うけど、でもあの春からあと、8人が「funky8」の8人でステージに登ることはなかった。夏には分断されたし、その分断は、わたしが思うよりずっと深刻だった。すえざわくんとまとくんとこじゃくんはツアーバック、ほか5人が松竹座公演、in大阪。すえざわくんに仕事が無いわけではなかったが、5人と3人でおなじ仕事ができないのはどうしてだろうと思った。

 

2018年の年明けで絶望を見た。目の前で5と3を見せつけられて、心をボキボキに折られて、こうじくん担の当時のフォロワーに公演後なんて返事をしたやら覚えていない。ただわたしにとって、絶望を具現化したみたいなコンサートだった。楽しくなどなかった。分断に加えてすえざわくんは、マイクも持たせてもらえずステージの上の方でちっちゃい子達と一緒になって踊っていた。そのあと行ったツアーのバックについていたすえざわくんは、奇しくも全体では絶対に任せてもらえないセンターにいて、もう心がぐちゃぐちゃだった。直感的に、きっとわたしが望むものは見られないと思った。

 

3月に出たスキャンダルと、そのあとの謹慎の話を聞いて、すこしじゅんやくんを憎んだ。どうしてだ、5人の中に入れてもらえて、松竹座でもメインに近い役回りを張らせてもらえておいて、そんなつまらないことをするなと理不尽に怒った。いろんなことが許せなかった。

 

怒りも錆びついてきた10月。絶望が真意を伴ってわたしの微かにだけ残った希望を轢き殺していった。1年半信じていたものを、誌面にデカデカと載るじょうくんとおおはしくんの笑顔でズタズタにされるのを実感した。

帰宅してから2016年の少クラin大阪を見た。FOLLOWを踊る8人が強くて、つよくて、わたしの中じゃこんなにも最強なのに、それなのにどうしてこうなるんだって思った。屋良くんに、ゆうまくんに認めてもらえたこの8人じゃダメなのか。どうして、どうしてだ。なんで。答えが出ないまま布団に潜り込んで泣いた。わからなかった。誌面のふたりはやっぱり笑顔だった。なにもかも愛せないなと思った。1年と少し前はあんなにたのしかったのがうそみたいだった。

 

括りが完全に解かれてから、アイドル誌などでは6人だけで括りがもどるようになった。その6人を「funky」と呼ぶ人もいた。すえざわくんはまたマイクを持たせてもらえるようになったし、絶大な人気を認めてもらえるようにもなった。わたしの絶望を、チャンスだと思っているよ、と言った。

苦しかった。そんなふうに言う彼が好きでたまらないと同時に、もうすえざわくんは過去にできてしまえるんだなって思った。置いていかれているのはわたしだけだ。

funky6ってなんだよと思った。8じゃなきゃ成り立たないんじゃないのか。8じゃないのに成り立たせないでくれ。そんなに、そんなにもむごい形でわたしから8を奪わないでくれ、幕をひかないでくれ。1日を終えると堰を切ったように泣いてしまうことが多くなった。

 

また年が明けた。すえざわくんはグループをもらった。うれしかった。新しい居場所だ。わたしももしかしたら少しくらい救われるかもしれないと思った。終わりにしたいと思った。すえざわくんの新しい居場所を好きになりたい。もう過去にしたい。もう2016年のin大阪を縋るように見るのは最後にしようと思った。

 

春松竹のポスターに、2年ぶりにすえざわくんがいた。大きく載った大好きな顔に泣いた。すえざわくんにも、松竹座で居場所がある。

まとりくんがいなかった。わたしはまとくんをあきらめきれなかった。どうしていないんだって毎日思った。まとくんのきらきら笑顔が見たかった。まとくんの振り付けを楽しそうにおどる8人が見たかった。8として括られていなくても、それでも8人そろってほしかった。叶わなかった。

 

すえざわくんがグループ配属になってから初めて2016年のin大阪を見た。 FOLLOWを見た。まとりくんがいた。すえざわくんがいた。じょうくんもおおはしくんも、りちゃぴもこじゃくんもいまあさも同じ場所で踊っていた。久しぶりに涙が枯れるくらい泣いた。好きだったものが、すきなものがそこに明確にあった。かっこよかった。強かった。なにわ男子にも、Aぇ!groupにも絶対に負けないと思った。funky8が、わたしのなかでなにより強くて、無理だと思った。気づいてはいたけど亡霊確定だった。

 

そこからはもう諦めて過去の動画をいっぱい見た。好きだなあと思った。今のすえざわくんの居場所が嫌とかではなくて、あの頃のすえざわくんの居場所があんまりにも好きすぎる。

 

3月31日。じゅんやくんを囲んでみんなが泣いた。ないとわかりきっていたfunky8復活の兆しをいちばんにじゅんやくんが絶った。その日もin大阪を見た。じゅんやくんはキラキラしなやかに踊っていた。

 

4月11日。まとくんの最後の文章を読んだ。いちばん「最高にFunkyで愛に溢れていた」のは最後までまとくんだった。だいすきなまとくんにもまたひとつ希望を踏み殺されてしまった。その日もやっぱりin大阪を見た。このひとがつくる振付がいちばんかれらをかがやかせるなあって思った。まとくんには何回も安心させてもらったなあって思い出した。

 

すえざわくんは、これからも仲間だよって言った。過去ではなかった。今も、未来も、仲間だよって。

久しぶりに泣いた。

 

今日もin大阪を見ました。どうしてもすきです。忘れられません。ごめんなさい。

 

これからもわたしはこの8人じゃなきゃ心から愛せないと思います。身長がさして変わらない8人でどんぐりの背比べしているところがいとしかったり、ばっちりそろったダンスをあの狭いショータイムの空間でみせてくれたり、ただただふつうになかよしだったり、そういうところがこれからもだいすきです。 

 

すえざわくんの今の居場所、すごく素敵だと思っていて、その気持ちに嘘偽りなんてものはひとつもないんだけど、わたしのなかのすえざわくんは、あのときからずっと、ずっと白です。

 

これから先もわたしは過去に縋って生きていくことになりそうだけど、そんなひとファンって言わなくてもいいから、ただ赦してください。

 

funky8末澤誠也くん、林真鳥くん、古謝那伊留くん、今江大地くん、朝田淳弥くん、大橋和也くん、藤原丈一郎くん。funky8がだいすきです。あなた達の未来に幸ありますよう。