深夜3時、シャワールームのにじいろのひだまり

ドリンクバーのぬるいんだかつめたいんだかよくわからないココアでさえも愛してしまえるような……そうやってぜんぶをゆるしてしまえるくらい楽しい空間っていうのはこの世に存在するんだなあって思った。たのしい。そう、よく考えてみたらいつもそれだけを胸にも目にもじりじりといやになるほど焼き付けてきたのに、いつの間に忘れてしまうんだろう。時って無常で残酷でやさしくて、だからこそ今回こんなにあの空間が楽しいって感じられたんだと思うよ。

 

無欲の勝利とはよく言ったもので、何となく申し込んだ公演は当たるし、QRコードをかざした先は今までで見たことがないくらい開けた視界だったので、いつもよくまみれで必死になっている自分が幾分滑稽に思えて笑ってしまった。神様を信じてるかどうかは自分のことながら自分でもわからないけれど、こういうことがあると神様っているのかもしれないしその神様とやらはわたしのことをよぉく見ているなあとさえ思った。こうして欲が出たので、もしかすると、何かを望んだとき、それを手いれることがむずかしくなったかもしれない。でも欲が出るのは好きだからで、別に誰と比べてるわけでもない、自分の絶対値で叫ぶのでしかたなくて、そんで、そう好きにさせるきっかけを作ったのは神様、あんたなのに、ちょっぴり卑怯じゃないの?…...ちょっと話が脱線しました。

 

わたしのすきなひとは、いや、すきなひとたちは、たぶんだけど……すごく「人を楽しませる」ことに向いている。というよりは、その能力もすごいことではあるんだけど、「巻き込む」力をこれでもかってくらいもってるんだと思うな。在宅気味で、意思も財力も弱いわたしみたいな人間の「ほか」の体験なんて微々たる門だけど、こんなにもひとりひとりに届くコンサートってないなあって思う。彼らと私たちを阻むものはたぶんなんにもない。そう屈託なく思えてしまうくらいには、わたしは彼らと通じ合ったと感じているし、何か「元気」と呼べるかもしれないパワーを送ったと思っているし、莫大で壮大で、やわらかくてあたたかくてつよくて、そういうパワーをもらったって確信にも似た気持ちになる。この世界中の何よりまっすぐわたしの胸をつく「矢」がたくさんたくさん飛んでくるから、ねえ、たまらない気持ちになってしまうよ。どこの射手座がその矢を放ったことやら。まったくすきすぎて困ってしまう。矢は毎度急所に突き刺さるので、わたしはあの7人のにじとやらがだいすきだって、浅く息を吐くたび魔法にかけられたように思うのだ。ジャニーズWESTさん、ねえ、最高に大好きだよ。

 

「アイドルをする」すきなひとを見るのは、実に1年ぶりのことだった。好きな彼はこれだと興奮して、わたしこんなところで泣きそうだよ。彼のことをすきでいたいわたしと、ほかに興味があるわたしが拮抗していてどうしたらいいのかわからなかった最近は、投げやりだったと同時に不安でしかなくて、でもこんなにも彼のことがすきなんだもの、心配する必要なんかなかったなあってやっぱり思う。理解ってたけどさ、体感はしてなかったから、ね、感じたらやっぱりそうだなあって思うよ。わたしの身体の細胞ひとつひとつに丁寧に組み込まれているかのようだって今日改めて思った。魅せる彼に魅せられることは、もはや本能としてのよろこびですらある。目を閉じたらね、今日は疲労で寝てしまいそうだけど......そうだね、明日の夜目を閉じたら、たぶん今日のあなたのことを鮮明に思い出してしまうんだろうな。大好きだってヒンヒンないてしまうんだろうな。ねえかみやまくん、責任とってずうっとすきでいさせてね。

すきなひととシンメトリーを組みがちなセンターのあかいひと。「明日をたのしみにできるのはすばらしいことです」って言っていて、そのすぐ前にはね、「みんなのおかげで明日が楽しみです」ってことばをくれました。なによりもそれがひびいたんだよ。それから、これはニュアンスだけど、ちょっとつらいことがあったとき、今日のこの景色を思い出せたらいいねって、そんなようなことを彼は言っていた。あーもう本当に、そんなのすきですきで、むねがぎゅうってなっちゃうじゃんって思った。すきじゃないとでも思ってるのって。わたしは今日の景色を思い出すとき、あなたのことばの温度も意味も、ぜんぶぜんぶぎゅうって濃縮して思い出すんだろうって思ったよ。しげおかくんのことばはアルバムですね。

 

言葉通りに実寸大の彼らを見ていて、魂まで実寸大なのかよって、最高だなって思ってしまったから、結局わたし、ジャニーズWESTがすきみたいだよ。セトリ別のぐだぐだしたおぼえがきという名の感想は、ご縁あって入らせてもらう次の公演のあとにとっておきます。あ~ほんっと、好きな人たちが天才すぎて困っちゃうね!

世界恣意的愛

 

涼さんの輪郭をふちどる「かけら」をふと手に取った時、楽しいような、嬉しいような、なんだか不思議な気持ちになる。見えないものが見えたこと、見えないものがまた見えなくなったこと、その「かけら」で知った気になること、それでもやっぱりぜんぜん知らないと気づくこと、そのどれもがどうしようもなくわたしのこころをあたためていく。オノマトペとしていちばん近いのは、たぶん「ウキウキ」だ。涼さんを知ることは、ウキウキすることなのだ。

知らないでいるのに知った気になって、知ったような顔をして彼のことを話すのはひどくたのしくて、彼がくれる虚像とわたしが持っている彼のかたちをした虚像に解釈違いが生じない限りはきっといつまでもそれが「たのしい」のまんまなんだろうなあと思う。

 

わたしは彼型の虚像を内腔に持っているけど、彼がどんな人か、と問われるとそれを言葉にするのがむずかしくってしかたない。脳内にちっぽけながらも語彙工場はあるはずなのにその生産レーンは全く機能しなくて、ただわたしはかけらをひろうとき、「これがこの人だ」と思うだけ。そのかけらを彼だと認識できる部位がなんなのか、ぜんぜんわからない。ひとから借りてきた誰のためなんだかわからない言葉にはできても、わたしの内腔の虚像にストンと当てはまることばは出てこなくて、つまりわたしは橋本涼がわからないのだ。唯一わかっていることは、彼の容姿が果てしなく好きということだけだよ。

わからないからたのしいと思うし、知りたいと思う。どうしようもなく好きだと思うところがなんなのか、どこなのかわからなくて、たぶんわたしはずっとそれを探し求める旅の序章のまま進めないんだよなあ。

 

どのくらいの負担をかけているのだろうか、とたまに思ったりする。それはわたしが測り知ることではないし、彼が見せるべきことでもないし、見せてほしいなんて思わないけど、「クリスマスにデートなんて夢のまた夢」なんて言われてしまうと、足枷をはめてしまっている気分になる。それをつけているのは彼自身で、涼さんもわかっているからそんな発言が出ると思うんだけど、「クリスマスにデート」という言ってみれば「ふつう」をできないことを改めて本人から思い知らされる。その足についているのは、ちゃんとアンクレットなんだろうか。足枷になってはいないだろうか。

休みたい時に休めないし、ひとつ仕事が終わったからと言って息をついていい環境でもないし、変化の中で変化と不変を保ち続けなきゃいけないし、そういういろんな「必要」に追われて生きてきてるんだろうなあ。せめてそれが彼にとっての「ふつう」になってしまっていたらいい。そう思ってくれている限りは、足の飾りはまだアンクレットだと思うから。

好きなことをしてくれたらいいなあと思うし、好きなことを夢にしてくれたらいいなあと思う。アイドルでなくなった涼さんに興味を持てるかなんて今わかることじゃあないけど、進みたい道を見据えた時その足についた輪っかが足枷になるのなら、外してくれて構わないと思う。でもそれと同じくらい、わたしはいつまでもその「アクセサリー」の輝きを追いかけていたくて、支離滅裂だけど、つまり彼のアイドル人生ができるだけ長く続けばいいなあと思うということです。わたし、涼さんはめちゃくちゃアイドルに向いてると思ってるし、アイドルの才能あると思ってるからさ。あなたよりアイドルする人、わたしほかに知らないからさ。ね。

負担を負担と思うな、と言いたいわけではなくて、感じる負担は少しでも小さければいいとか過保護なことを思ってしまうんです。今更心配されることでもない、なんて一蹴されてしまいそうな気もするけれど。

 

どんな些細なことにも感謝を見つけられるところが好きで、それを伝えたり表したりする時に言葉選びを恥ずかしがらないところも好きで、たぶん特別でもなんでもない日常的なことなんだろうなあって思ってしまうくらい、そういうのがほろりと会話に出てくるところが好きだ。わたしね、涼さんが自分と瑞稀くんを「運命共同体」と言ったこと、一生忘れられないと思うんだ。素直で聡くて捻てるけど擦れてない涼さんだから出てきた言葉だと思う。運命共同体って、それ、涼さんが行くところには瑞稀くんもいて、瑞稀くんが見る未来は涼さんが見る未来ってことだよ。涼さんにとって、瑞稀くんはそんな存在で、わたしはわたしのすきなひとがそんなふうに思える人が瑞稀くんであって本当によかったと思うしすごくうれしい。人が生きる中でそんなこと感じられるのなんて、きっとほんのひと握りだから、涼さんにその相手がいること、それを伝えてもらえること、全部うれしいよ。

衣装をたくさん作ってもらってうれしかったとか、ゆうぴーはハイハイのこと考えてくれてるから愛を届けたいとか、しーくんやしめちゃんがデビューしたら泣いちゃうだろうなとか、なんか、そういう「かけら」があんまりに好きで、感情が涙になるしかないときがある。涼さんって本当人情深い人なんだろうなあ。受け取ったものを真っ直ぐ返すことにもそれを伝えることにも照れがなくて、そこはかとなくまぶしい人間だなあって思う。

 

わけわからんこと言うところも好きで、自分で自分の発言に爆笑してるところとかこの人本当頭おかしいなって思って腹の底から声出して笑っちゃうし、それなのにリカバリー力は高くて周りが見えてて臨機応変に対応できちゃうんだもんよ〜。いつだってわたしが理解するには到底及ばないんですよね、橋本涼さんは。あーあ、たのしいなあ。

 

ぜんぜんまとまらないんだけど、要はわたしが涼さんのことを好きという話で、その好きな人が今デビューを目指しているというのならわたしはその未来しか見たくないな〜と思う。アリーナツアーでもドームコンサートでもなんでもやろうね、きっと叶うよ。ファンだから無責任なこと言っちゃうよ、ファンだから。広い会場がペンライトの青色で埋まるのはいつかなあ、待ち遠しいね。

必須科目:幸せ

先月さよならを告げたつもりのひとのことを、今更やっと知った。わたしの中で引かれていた線は、おおきな波にのまれて消えてしまいそうだ。ちいさな波が押し寄せるたび、線の端からじわりじわり侵食されていくのを感じていたけど、もう限界かもしれない。区切りをつけたと思っていた。思っていただけだったみたいで、そして短期間でわたしにそれはそれは深い爪痕を残したそのひとのことをなんでもない気持ちで見ているなんて無理な話だったみたいだ。もっと前に知っていたかったなあと言うのは、あんまりにわがままだろうか?ごめん、許してください。それでも好きなんです。

 


末澤くんは、大学に行っていたらしい。そんなことすら知らなかった。わたしが出会ったときの彼は22歳で、そうか、あのとき卒業のタイミングだったのか。2年も経ってから知るなんて間抜けだね。でも今じゃなかったらたぶん たぶん知ることはなかったと思う。


ちらりと小耳に挟んだりしていた末澤くんの「仕事がなかった時期」の話を本人が話していた。小耳に挟んでいた程度でどのくらいの期間仕事がなかったのかとか、本人がどう思っていたのかとか、やっぱりなんにも知らなかったわたしは、ガチンと杭を打たれたみたいだった。十字架に磔になったような、なったことがないからわからないけど、例えるならそんな気分だった。誰に向けて晒しあげられているわけでも、誰から晒しあげられているわけでもないけれど、たまらない気持ちになった。末澤くん、末澤くん、そんな気持ちだったんだね。知らなかった。

仕事を辞めたいと思ったことはあるだろうと想像するのと、そう思ったことがある、辞めようと思うとマネージャーに伝えたと言われるのとは、ぜんぜんちがった。辞めたいって思わないのかなあって、ふと、悲しくなるくらいふと思ったことがあったけれど、それとは比べ物にならないくらいの息苦しさだった。過去のことだから、過去のことになっているから申告できることなのだと思う。現在について語るにはあんまりに不利というか、不安定というか、そういう立場だと思うから、きっとそんなこともあったねと話せるくらいの「過去」なんだとは思う。末澤くんは、人前に立つ人格を捨てようとしたことがあって、もし、もしそうなっていたらわたしの人生どのくらいちがったんだろう。そんなときだってわたしは自己中な人間だから、末澤くんがいなかったとき、出会えなかった時のわたしの人生を考えた。たぶんわたしは、わたしは こんなに苦しい思いをしなくて済んで、だけど、こんなに愛しいと思うひとに 幸せになってほしいと心の底の底から願えるひとになんて出会えなくて、こんなに泣いたりなんてしなかった。

愛おしくって、幸せになってほしいってなんでもない夜に思うこと このひとがしあわせになってくれたらこの世界どんなに愛せるかなって布団をにぎりしめること 苦しいならばいっそ嫌いになってしまいたくて歯ぎしりしながら泣くこと 全部なかったんだと思う。わたしの人生豊かにしたのは、明らかに、明らかに末澤誠也さん、あなたです。苦しさも切なさも、喜びも嬉しさも、感情ぜんぶ100倍にも1000倍にもしてくれたのは、末澤くん、君でしかないよ。

ねえ、ねえ、大学2年の末澤くん。辞めないでいてくれてありがとう。20歳の末澤くん。人生の分岐路に立って、それでもマネージャーさんの言葉に引き止められてくれて、本当に本当にありがとう。受けてみるかってそれでも思ってくれてありがとう。末澤くんは愛されるべきひとなんだよ。

 


ファンの人が思っている何百倍も強いなんて、それを口に出せる末澤くんは、きっとわたしが思ってる何億倍も、それ以上にだって強いんだろうなあって思う。見くびっててごめんね。しんどいなかでも誰かを笑顔にする仕事。そうなのかもしれないし、その言葉を投げかけられる文一くんも、その文一くんの言葉を大事にできる末澤くんも、どっちも素敵でだいすきだけど、それでもしんどいときはしんどいって言える場所があってほしいよ。それがわたしみたいなファンの前でなくってもいいから、泣きたい時は泣いて、嫌な時は拒否して、そういう子供みたいに駄々こねるときがあったっていいんだよ。そうあってください。人間であるところを殺してまでステージに立ってくれていること、これでもかってくらい知っているから、だから、だから。人間であること、忘れたりしないようにするから。ありのままであれる場所を持っていてください。見つけているなら、見つけたなら、必ずしがみついて離れないでください。

 


めそめそしていたわたしが弱かっただけみたいだ。末澤くんはずっとずっと強くて、ずっとずっと前を向いていた。心配してくれている人もいるかもって、でも切り替えて前を向いているよって、チャンスだと思ってるって、そういうところが好きなんだと思った。わたしは、わたしはあなたの、大事な時に大事なことばを包み隠さないでそのまんまストレートを伝えてくれるところがだいだいだいすきだよ。幾度となく救われてきたよ。


弱虫で臆病で自己中で、だめなところばっかりのわたしだけど、末澤くんのことまだ応援していたい。担当とか、そうじゃないとかわからないから、出戻りって言われるのか言っていいのかわからないけれど、それでもわたしがいちばん幸せになってほしいと願うひと。それが末澤誠也さん。

末澤くん、このことば、今まででいちどだって贈っていなかったね。情けないけど、いまさらだけど、いちばんがひとりじゃないかもしれないけど、いわせてください。


あなたのことがいちばんすきです。幸せになってください、必ず。

 

 

主人公シンドローム

 

わたしは、「主人公」を纏うセンターがたぶん、とてもにがてだ。

 

センター。それ自体が苦手なわけじゃあない、と自分では思う。9人組をすきだったとき、わたしは赤色の涙ボクロくんのことがすごくすごくすきだった。いまも好きだ。とっても可憐で かわいくて きらきらで そんなひかりの裏で 計り知れないほどの重圧と戦っていたわけで、それがデビュー10年を間近に控えた頃、ようやくすこしその小さくてつよい背中から降りたのかと思うと、いつでもたまらないきもちになる。ずっとずっと、戦っていてくれたんだと思うと 本当にこのひとはこのグループが大事なんだと思うと 涙がむぎゅうと押し出されてしまうくらい そのくらい思い入れがある、とおもう。いつだって真面目で実直で グループのためならと自己犠牲をいとわない人で きっとたくさんひとりで悩んで傷ついてきて そういうセンターがわたしはすきだ。ここに分類していいのかはわからないけど セクシーな5人組のまんなかに立つ人のこと 彼もまた赤なわけだけど その人のことをどこか「特別」に位置づけてしまうのは、そういうセンターが好きだからだと思う。あっちゃんと呼ばれた彼女がその当時すごくすきだったのも、幼心ながらそこに共通するなにかを感じ取っていたからかもなあと 今考えてみれば思う。グループの象徴を担うひとがわたしは好きなんだろう。このあたりのはなしは友人からの受け売りみたいなものなので、そこだけことわらせてほしい。

ハイハイジェッツでいうなら、先述したセンター像に当てはまるのはやっぱり赤を背負うそのひとなんだとおもう。それだからこそ、わたしはたぶん瑞稀くんのことが一定ラインをこえてすきで、それだからこそ、彼が真ん中にくることにわたしのこころは異議を唱えない。彼がグループのために自己犠牲を図っているかと言われるとそれはわからないんだけど、尊先よろしくセンターを張っている気がする。

 

じゃあ高橋優斗くんだったら異議を唱えるのかというと、ちょっとわからない。ただ、優斗くんがセンターにいることに、なにかしらくやしさみたいなものを感じているのは事実として認めざるを得ないところだ。いつの回だったか…比較的最近だったけど、少クラのシェイクイットアップを見たとき 優斗くんが立つセンターを見たとき 明確に負けたと思った。思わされた。優斗くんがセンターにいるハイハイジェッツがあんまりつよくて、あんまりに優斗くんが主人公だったから。くやしいとおもっていたんだとおもう。でもこのひとがひっぱる物語が見てみたいとこころの奥底のわくわくがわきあがることを抑えきれなくて、余計にわたしは勝てないと思った。涼さんには、そんなふうに思わせることはたぶん、たぶんだけど、できない。

瑞稀くんのセンターを見た時には感じないことを、優斗くんのセンターを見た時には感じる。みじゅはきっと、センターにはなれるけど主人公ではない。そんな気がする。なにが優斗くんを主人公たらしめるのかわたしにはわからないけど、彼は運命とか天命とかいうやつを背負ってるのかもしれなくて、それはハイハイジェッツのほかの4人だれも持っていないものなんだとおもう。そういう彼がセンターにたつのは順当に考えれば当たり前かもしれなくて、でもやっぱりそんなの、と突っかかってしまうわたしもいる。言ってしまえば 一介のオタクでありながらわたしは、涼さんを借りてないものねだりをして悔しがっているってことなのかなと 的外れになりかねない憶測をしたりする。なにかおっきなそれを背負うひとが、心底うらやましいんだと思う。わたしの主人公を張っているはしもとくんが、ハイハイジェッツの主人公でないのはなんでだ?と凄むくらいの勢いで…そんなことを思っている。結局わたしは、すきなひとが真ん中に立たないことを 立てないことを 諦めきれないだけなのかなあ。諦められる日、諦める日、そんな日ってくるんだろうか。わたしのまんなかにいるひとが世界のまんなかでないことを理解して受け入れる日なんてくるんだろうか。みじゅがセンターを張ることをなんてことない気持ちで見ていられるのは、好きだとふつうに言えるのは、彼らがシンメトリーを組んでいるからではなくて、みじゅはみじゅだけの主人公でありそこに嫉妬みたいなものはないから、っておもう。優斗くんがたつセンターは あんまり強くてあんまりかっこよくて あんまりにハイハイジェッツの「はじまり」だから それを背負う優斗くんがわたしはうらやましくて いっそのこと優斗くん担になっていたら…って思わないでもないけど、でもわたしの運命の手綱を握るのはほかのだれでもない 橋本涼くんだ。はしもとくん以外のだれにだってわたしの運命の手綱を握らせたくはないから はしもとくんにだけ握っていてほしいから そこがわたしの気持ちの中でグリグリ、ジリジリ、と摩擦を起こしている。優斗くんを見ていると、摩擦係数の数値は最大値を観測してしまうから、だからわたしは彼みたいなセンターが苦手なんだと思う。それでいて、にがて、と、すき、と、うらやましい、はぜんぶおんなじ紙の上に並んでいる。根底にあるのはいつだって猛烈な嫉妬だ。

 

やまださんや勝利くんいうセンター。瑞稀くんがここに含まれるとなるとちょっと定義としてわからなくなってくるけど、もしかしてそこに一貫してあるものというのは、「同情」なのかもしれないと、ふと思う。自分を切り捨てるそのひとたちはどこか「かわいそう」だから、それは引き金としてじゅうぶんで、好きになるのかもしれない。そして彼らはたぶん、センターであれど主人公ではない。9人なら9人、5人なら5人、それぞれのひとに主人公を語り名乗るチャンスもストーリーもある。

対して、優斗くんや、たとえば重岡くん。そういうセンターはどうかと言われると、かわいそうって思うことがないなとわたしは考える。自分を切り捨てて真ん中に立ちなどしないわけで、そのまんまたかはしくんとして、しげおかくんとして、センターに立つ。主人公然として、真ん中で道を切り拓く。推されだからそうなんじゃなくて、そうだからこそ推されなんだと思う。ほかの人を主人公に据えることを許さないのだ、その性質が。主人公として他者の追随をゆるさない。

 

さっきからずっと言ってるけど、単純にわたしはそれがうらやましいだけなんだと思う。センターを好きにならないわたしの好みと、自分の好きな人がいつでも真ん中で愛されていてほしいというわがままが自分の中で合致しないだけで、ほかのだれもわるくなくて、ただただわたしの問題なんだろう。わたしの中心は世界の中心であれよとひどい自己中を発揮しているだけなんだ、たぶん。「だから」で片付けていいのかわからないけど 優斗くんのこと、ちゃんと好きになりたい。でもちゃんと好きになれなくて ずっと逃げている。優斗くんに踏み込むのは たぶんわたしには向いていないし、と 高橋優斗くんのことを考えたくないわたしはそっぽを向きまくっているけど、いつか一周してゆうぴーすきだなあってハイハイジェッツを好きになり始めた頃とおんなじように言えるようになればいいと思う。いや ゆうぴーのこと好きなんだけど …でもなんかまだ悔しいから もしCDとか出しちゃったりする時には ゆうぴーがセンターにいることを誇らしく思っていたい。みんなの青春背負っちゃうゆうぴーを、好きになっていたいな。

 

ゆうぴーがにがてなのは、わたしがすきなおともだちがゆうぴーに素敵な文章を書かしめられているってのもたぶんあって、わたしははしもとくんでそんな素敵なこと書けないから、やっぱり結局は全部嫉妬なのだ。みにくいな、わたしは。顔も性格も醜形を極めたわたしだけど、それでもわたしなりにゆうぴーを等身大でみることができる日が来たらいいなあ。

ギブ マイ ブラッド フォーユー

 

友人と別れてぽつりぽつりひとりで歩いているとき。その日の労働を終えて冷たい風を切りながらペダルをふむとき。もうすっかりなれっこになったひとりでの食卓をふと見下ろすとき。眠気に抗えなかった夜を客観視するとき。

虚空がわたしのなかで、突然おんぎゃあと産声をあげるとき、わたしはよくアイドルとアイドルを消費する自分自身を考える。虚空を応援しているからこそ それは虚空がうまれたときの拠り所になっている気がする。

 

去年の秋。わたしはにじいろを謳う7人のことがただひたすらに好きだった。たしか去年も10月にツアーが発表されて わたしは彼らのそれにはじめて申し込むことができて うれしくて 落ちる当たるの二極化された世界におののきながら それでも申し込むという形で既に参加できたことがやっぱり嬉しかった。その前の秋は自分のことでせいいっぱいだった。その前の前の秋は…そうだ 年の終わりにそのころすきだった9人の天使みたいなひとたちに会いたくて色々奮闘していた。考えてみたら、秋はわたしにとって、すきなひとたちに会う準備の段階を踏むための季節だったのかもしれない。そんな意識はこれっぽっちもなかったけれど。

 

今年の秋。わたしはそのふかふからしい高級な絨毯をわたしの足でふむことも感じることもなかった。その重厚な外装を見に行くこともなかった。なかったというよりは できなかったというほうが正しい。わたしにはそのドリームチケットは「ご用意されませんでした」だった。上演の時を同じくしていた舞台に足を運んでいたからか…いや、全く関係ない気はするけど それをそのときはなんとも思っていなくて そのあともなんとも思っていなくて 今はすこしだけ 悔しいと思っている。本当はすこしじゃないけど、終わったことをあれこれ言ってもと大人ぶりたいから、すこしと言わせてほしい。わたしの手元にはそのつるつるの厚紙はなくて、それを点線で折り返したりすることも もぎられたりすることもなかった。17歳のわたしのすきなひとを見られるのはそこが最後だったと気づいたのは 終わって随分経ってからだった。17歳がしんでいく様を見られたのは 17歳がいきている様にはじめて触れた夏が最後だったんだなあと思った。そうかあ、17歳に触れたのは わたしはあの夏のあの地下の小さなハコが最初で最後だったんだなあと 虚空が誕生したとき その気持ちもぼんやりとラピュタみたいに宙に浮いてそのまま 今も行き場を失っている。秋を終えて冬に差しかかった今 彼は18歳として生きながら18歳を毎日ころして19歳に向かっている。

真ん中に立たない 立てない そういうしにゆく17歳の彼を見られたならば わたしはどういうきもちになっていたんだろう。好きに襲われていたかな。彼が創るあお色のドリームランドにすっかり飲み込まれていたかな。有と無が最大限に混じり合う0という数字を彼が背負わないことに、ひどいジレンマを感じていた可能性だってある。もう一生わかり得ないことだ。絶対に叶わない「もしも」をわたしは何度も自分に問いかけて あるんだかないんだかよくわからない傷口に塩をていねいに塗り込んでいた。じぶんのことなのに、傷口の有無がわたしにはわからなくて、それが痛いのかどうかも涙が出るほど染みるのかどうかもわからなかった。ただ、ドリームランドは、少なくとも2018年のそれは、わたしの中でこの先ずっと存在しない。それだけが明確で白日のもとに晒された事実だ。

 

どこまで行けるかなんて誰にも決めさせないと歌う画面のなかのその人を見たときに はじめて涙が出た。くやしいと思った。他人と比べてとかそういう劣等感じゃなくて わたしはわたしがその絨毯を踏めなかったことが その座席に腰をおろせなかったことが それ自体だけがどうしようもなく 同時にとてつもなく悔しくて悔しかった。わたしはこの人が作ってくれる どこまでだって現実の ゆめの世界の住人になりたくてしかたなかったのに わたしにはその権利はなかったということに今更ながら気づいた。チケットがない人には入場の資格はない。至極当たり前で残酷で わたしを傷つける棘を幾重にも装備したひどいかたまりだと思った。くるしいと思った。棘は喉元を通り過ぎることもなく 熱さを忘れさせてはくれず ああわたしは9月からずっとずっと息苦しかったんだなと気づいた。ギラギラとした閃光を画面越しに投げつけられて ぐるぐる悔しくて 苦しくて すごくすごくいやだった。そんなおもいをしてまでも わたしがわたしを傷つけてまでも うしろに光以外の何を背負うでもなく 翼みたいなローラーを自在に操ってステージという地を踏んで にやりと闘志をのぞかせるまっくろくろすけみたいな人工の色の髪をしたそのひとを嫌いになれなくて それどころかどうしたって好きで、アンタ むちゃくちゃ彼のこと好きじゃんと 別人格のわたしがわたしを嘲笑っていた。大量の血を流してようやくはじめて わたしはその血のあたたかさに気づいた。それはとても鮮やかな赤色をした動脈血だった。

 

なんにも考えてこなかったとはいえ それでもオタク10年選手になろうかというわたしだけど 今でもやっぱりそういう傷には慣れない。家庭環境とか 自分自身の精神問題とかポリシーとか そういうのを加味するとわたしはもしかすると他人よりそうやって傷ついた回数が多いのかもしれないけど、好きでいる限り慣れる日は来ない。虚無がわたしを支配した時 その傷口の数に驚いてしまうことがあるし そのどれもがずっと生キズのままうっすらとした膜だけが張った「ギリギリセーフ」の状態でわたしのこころのあちこちに存在している。なにかきっかけがあればその薄膜は簡単に剥がれてしまうし 何年経ったとて上から触れば痛いし 些細なことで血は流れるし ただそれに気付かないふりをするのがだんだんと上手くなるだけだ。痛くったって痩せ我慢をすることが普通になるだけだ。これからもわたしに向けて「ご用意できませんでした」の矢は数え切れないくらい飛んでくるんだろうし そのたびに傷つくんだろうし わたしが行けないそんなステージなんてなくていいとか自己中心的なことも思うんだろう。解決方法なんてない。あってもこれから先もずっと知らないままだし 知っていたとしてわたしにはできないことな気がする。傷ついたことに気付かないふりはできるようになっても そもそも傷つかないことなんてできない。だってオタクは というより少なくともわたしは、すきなひとがそこにいるのをいつだって確かに感じていたい欲深い人間だから 何回だって血を流す。懲りろよと思う。でも懲りたらそのときわたしは オタクという人格を捨ててまたなにか別のものを武装して生きていく そういうタイミングなんだろうな。今は懲りないで何回だってその矢に丸に丸腰で立ち向かう。まるごとひっくるめて それがわたしの自己満足な愛だから。

 

いつかこの先 この傷がかさぶたになるとき 傷跡の数を見て馬鹿だなあと笑いながら泣けたら きっとそれがわたしが彼らを愛していた存在証明で その涙のあたたかさに気づけたら もしかすると幸せだったと全部肯定できるのかもしれないな。

自担の顔が好きすぎる選手権

 

みんな~~~!!!!!!!!!!

自担の好きなところ、どこ~~~?!?!?!

 

わたしは顔~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

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語弊とか恐れない!!!!!語弊じゃないし!!!!!もう本当に顔が好きなんだよな~~~~~~!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

あなたの癖に狙いを決めて!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!ベンザブロ…ク!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!わたしは橋本涼色のベ…ザ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

顔が好きすぎるという気持ちが抑えきれないのでキモオタク界のガヤ担当大臣ことわたしは誰に求められているでもないのに勝手に涼さんの顔を紹介する。紹介というか…顔が好きなのでここが好きあそこが好きって言うだけですけどね…パーツごとに…(パーツごとに)例によって!と…で全部乗り切る。顔好きすぎて顔に関するエントリをむちゃくちゃ書いてるけどまだ書く。顔がむちゃくちゃ好きなのでな!!!!!

 

①目

以前超キモイエントリを書いているんだけどそれでも言う。言うぞ。

(ドキモイ)

幼少期から目のきゅるきゅる感が本当に全然まったく1ミリも変わってないんだよ…見て…

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小学生時

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中学生時

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高校生時(今)

(画質悪ィ~~~~~!!!!!!!!!!)

 

目における黒目含有率、全然変わってないナ~~~~~~…!!!!!(尊みでハンカチを引きちぎる)目がくりんくりんのきゅるんきゅるん…ビックリしちゃう…黒目大きくてハイライト入ってるおめめ、なに??どこの少女漫画??オ~~~イ神!!教えてくれよ!!

涼さん8.5割くらい黒目じゃん 14.2ミリのカラコンをつけることすら許されないほど 目が点になるという慣用句すらも驚きの黒目の小ささを誇るわたしと 天然で15ミリのカラコン着用済みたいな目してる自担……??????おい吐血用のバケツはどこだ??????

 

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ね~~~!!!!!みんな見て!!!!!黒目おっきいから笑うとおめめまっくろになっちゃうの!!!!!ねえ~~~!!!!!これを好き以外の何で表しようがあるか!!!!!かわいい!!!!!

普段はそうでもないけど笑うと涙袋ぷく~てなるのも愛おしくて歌い出しちゃいそう…もう君以外愛せない…ごめんそれは多分嘘…どんだけにこにこしても猪狩さんみたいに目が線みたいにならないのも好きが強い…いや猪狩さんの目は猪狩さんの目で愛おしいからな!!!!!か 勘違いすんなよな!!!!!(どっちが?)

本当腹立つくらい平行二重だし…目頭から目尻まで…泣いちゃう…好きすぎて…ぱっちりきゅるきゅる平行ゴリゴリ二重の男、好きすぎて泣いちゃうよ…突然ですけど眉毛ちゃんと整えてるの、年頃の男としてもアイドルとしても涼さんのキャラとしても引くほど好きすぎません?キレそうになるくらい好きなんですけど安定性のある情緒どこ?イケメンしかできない眉毛にしてるところ好きすぎるし、イケメンだし、イケメ…ン……………えッッッッッ……………自担…むちゃくちゃイケメンだな…(愕然)

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残りの1.5割の白目すらすべてに勝っているお目でとう優勝は君だよ…

 

②鼻

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テメェどの口がンなこと言ってんだァア?って感じなのは百どころか一京くらい承知だけど、涼さんはたぶん特段綺麗な形の鼻をしてるとかではない!!たぶん!!いやでも普通の人よりかは全然きれいな鼻だけど!!そんなに主張のない鼻かなと!!ところでめっちゃ顔良!!!!鼻のあたままんまるでかわい~~~☺️☺️☺️☺️☺️小鼻かわいい☺️☺️☺️☺️☺️かわ☺️☺️☺️☺️☺️いい☺️☺️☺️☺️☺️かわE通り越してかわFやでホンマ…(散れ)

 

でも横から見た時、マジで、言葉を失うくらい、「鼻、良~~~~~~~~~~~~…………………………………」って思うので見て。見ろ。ください。

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鼻、良~~~~~~~~~~~~…………………………………(ひどく深いため息)

鼻ヤバない?鼻、ヤバない?どっから生えてる??鼻ヤバない??ていうか、ていうか、ていうか、

顔、良~~~~~~~~~~~~…………………………………………

すうっと通った鼻…まっすぐ…地平線…水平線…涼さんの鼻…美、愛、良~~~……………言葉、出ね~~~……………北島康介顔負け……………わたしが……………涼さん、鼻、キレ~~~イ……………鼻向けの言葉、ナシです……………鼻、良~~~~~~~~~…………ホノカチャン……………それことり……………

 

③口

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エッチ~~~!!!!!バカ!!!!!エッチ!!!!!ECCHI!!!!

唇の形が素晴らしいと思うんですよね…厚みがちょうどいい下唇に薄すぎない上唇…そしてきゅっとあがった口角…良さ~~~!!うっすらピンクなのエッチすぎる。いや、マジで、これは、本当に、危ないな~~~!!どっかの女性誌とかでキスしたくなる唇!とかで取り上げてほしい。もうなんでもいいから。取り上げてほしい。良い。語彙が足りない。

 

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笑うと右の口角がくいっとあがる(あげてる)のも好きだし、なにより、これ、見て、笑うと上唇あんまり見えなくなるのが好きだよ……………良い。良いです。とても。イケメンがする口の形してる(?)

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あともめっちゃいいから見てくれ。歯だよ。歯。前歯がね、ちょっとガタッてなってる~~~!!はァ…良…めっちゃ生きてるじゃん…橋本涼さん……………生きてるじゃん……………

あと涼さんわりと口周りにニキビできやすいぽくてそれも生きてる~~~!!!!ってめちゃくちゃ興奮します。若い男。肌が若い男。興奮します。とても。

 

番外編 デコ

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デコめっちゃ綺麗では??おでこ広めで前髪上げが似合うのが本当にさ~…男感じて最高です…ていうかこの髪型マジのガチでイケてる男しかできないヤツすぎるサイコ~~~!!!汗でデコがぺかぺかなのも愛しい好きです最高。デコは最高。

 

他にも顎とかいとしい。ホクロあるし…アレめっちゃエッチ。顎いとしい。愛おしい~!好き!マスクをしたらかなりのイケメンになれる、じゃね〜んだよ高〇!!すべて揃って橋本涼さんだろ〜が!!(喧嘩上等)まあでも顎隠れてるとさらに盛れることは否めない…ごにょごにょ…一理ある…ごにょごにょ…モゴモゴ…

 

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いやそれにしてもどのパーツも最高!!!!!だいすき!!!!!顔良すぎてこっちがビックリンチョ……………

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これからも顔がだいすき!!どんなときでも存在全肯定!!!!でオタクやっていきたいと思います!!!!!

 

みんなこれからもHiHi Jets橋本涼さんをよろしくな!!!!!

 

(誰?)

 

 

 

未無虚空

 

わたしは小学校5年生の頃から嵐が好きで、オタクとしての自我が芽生えたのは中学生の頃だ。ジャニーズ・オタクでいることはわたしのなかでなんの不自然もなく成立していることで、特別にそこに対して何を思ったこともなかった。たぶん他人からどうこう思われたこともない。見た目とか ダンスとか うたとか そういうのの上っ面をなぞって アイスの溶けた部分から食べるみたいにして オタクをしてきた。それに疑問をもったことはなかった。

考えるのがにがてなわたしには、それでちょうどよく「美味しかった」というわけだ。それでおなじようにおなじように わたしは5年も10年もオタクをしてきた。

 

だから、だから?だからということばでぜんぶなしにしていいのかはしらないけど、わたしはこの人がどういう人なんだろうとか 自分はどういうふうにこのひとのことを捉えているんだろうとか そういうのを考えてこなかったから、いまもそれがにがて。

 

今年の春…名実伴ったのは夏なんだけど。そのくらいの頃から、ジャニーズジュニアの世界に足をポチャンと浸けたりしてみていて、いや足どころのはなしじゃないのはわかってるんだけど、思ったのは、まわりの人間が色々をことばにしたがるってことだ。洞察力のないわたしはこれも言われて気づいたんだけども。さておきジャニーズジュニアを応援する人は、みんなじゃないけど、結構な確率で、感情とか事実とか そういうのをことばにする。自担は思うにどんなひとで、どんなところがあって、自分はどういう人だから、こういうところが好き、みたいな。

見るたびに、いや、できねーなーっておもう。できない。うらやましいなあと思う。わたしにはそういうふうにことばにするという行為…というよりその前段階の「かんがえる」が身についてなさすぎて なんか うまくできないから できねーーって思うのと同時に すげーないいなーーっておもう。わたしは、涼さんのどこが好きかわからないし実際のところたぶん自分にわかろうとする気はあんまりないし知らない。好きなもんは好きだし きらいなもんはきらい。そこに理由なんてある?あるんだよ…ってなる。でもその理由は脳が足りないわたしにはわからないから結局できない。

受け取るものに対してもそう。受け取ってそれをどうこう言うのがむちゃくちゃにがてだ。どうこう言わなきゃいけないわけじゃない、のは、わかってるんだけど、ただ批判がにがてだなとおもう。わたしの性質として、悪いところが見えないというか 肯定することで自我を保っているというか…そこに対して考えとかないから これをあげますと言われても うんありがとう!え〜めっちゃいいじゃん!おわり。という感じ。授業を受けてその時間の最後に感想を書かなきゃいけないとかってなったときに、いや、何書けばいいんだよって思うのに似てるかもしれない。「かもしれない」だからわからないけど。

 

それらしいことばを何個か並べ立てて文章を書いてはみたけど うーん ちがうなとおもった。わたしのそれには中身がないというか。結局スカスカなまんま それこそ授業終わりに出す「興味深いと思った」を乱用した感想みたいな そのくらいのものにしかならなかった。思っていることではあるんだけど 他人の目を気にした安い文章だなーと思う。自分のそういうところが心底きらいだともおもう。公開してはじめて意味を持つような そこにしか意味を見いだせないような そういう文章な気がしていて。他人の目を気にして、評価が欲しくて書く文章の陳腐さとか 間抜けさとか そういうのがところどころに散りばめられているわたしのそれは本当に酷いと思うんだけど、わたしがそもそも文章を書くきっかけになったのってそういう気持ちだから、一生治らないビョーキ、みたいなものなのかもしれない。そりゃあ考えてもないのに 文章を書いたところでなんにも変わりはしない。当たり前だ。当たり前がひどく虚しい。そうしてまたこの記事も公開する。たぶんわたしは人に伝えるために書くことも 自分に伝えるために書くこともできなくて 誰かにとっての唯一無二を作る文章をうむことはできないんだとおもう。ほうら、他人からの目を気にしている。誰かに好かれようとするわたしの媚びへつらった文章がわたしはだいきらいだ。

 

自分の感情に向き合うのも、それをこねくりまわすのも、どっちもにがてだ。きっとわたしは知ったようなふりも顔もできる。その擬態能力は、たぶん自分には備わっていて、でもわたしはこれから先もずっとそんなふうにしてオタクをするのかと思うとむなしさというか 嫌気というか よくわからないけどマイナスに強く帯電した気持ちが鉛みたいになって心の重石ができてしまう、みたいだ。

全肯定がダメとか言ってるわけじゃないし、わたしは全肯定型オタクって楽しいと思うから、全然いいなーと思うし 自分がその形態をとっていることにむちゃくちゃ嫌な気持ちがあったりするわけじゃないんだけど、ただわたしの全肯定は「選んだ」ものじゃなくて、結果として「なってしまった」ものだなと思う。否定ができないから肯定をしている。それだけだなと思うから、ときどきなんか なんかわからないけど情けなくなる。情けないってどういう感情だよって思うけど、でもあの気持ちは情けないってことばがいちばん近くにいると思う。否定しなきゃいけないわけじゃない。知ってる。というかわたしは、否定したいんじゃなくて批判がしたいだけなんだ。自分を持っているふりをしたくて。自分をもたないわたしは見栄をはりたいだけで…あ~~~書いていて気づいてしまった…見栄をはりたいだけなんだな…。批判をすることがステータスじゃないけど わたしよりひとつ上の段にいる人達がすることのようなきがしていて、それがうらやましくて 結局まねっこで生きている人間がわたしという生き物なんだなと 今気づいてしまった。真似をした先には虚無しかないのを知っていて また真似をして 空を切って、そうやって生きているのがわたしなんだな。

 

書きたい文章が書けるようになりたい。それはニアリーイコール自我を持ちたいってことなんだと思う たぶんね。話し言葉で書いたらフラットになりすぎちゃったな。