青の碧

@kogsk_

虹の麓にあるものは

 

オタクやめるの?と問われた時、決まって答えは「やめられないよ」だったのが、今は少し変化して「その可能性もあるかもね」になっていて、その問いをわたしに投げかけてきた友人に驚かれてしまった。どうしたの、何かあったのと言われた。そうか、そんなこと言われるくらいわたしのアイデンティティとかいうやつはそこにあったんだなあと思った。もちろんほかの部分もあって仲良くしてくれているのはわかってるんだけど、わたしをわたしたらしめるものにその要素は思いのほか深く食い込んでいることを今更実感した。

 

何かあったのかと言われると別に何にもなくて、ただもともと不精な節があるから、楽しいと思うことにすらエネルギーを使うのが面倒くさくなって、目の前を過ぎ去る日々を消化していたらこの有様である。何もないからこそ、自分のこの状態がわたしにもわかりかねるところだ。この言い方が正解かはわからないけど、わたしの中のその人格はたぶん冬眠中なのだと思う。いつ起きてくるやら、といった感じだけれど。

 

ぬるりとした気持ちで日々を消化することは存外難しいことでも嫌なことでもないんだなあと思った。目の前のことで精一杯かと問われるとそんなことはないけど、ただ他のものに手を伸ばす気力はない。やっぱりこれは不精で怠惰だ。

結果として、という解釈で正しいのかはわからないけど、好きとかそういう感情の波の幅が小さくなることも、その波が最終的に収まってしまうことも、以前ほど恐れなくなった。だから今回のこの気持ちも、自分の中での葛藤を繰り返した結果というよりはゆるやかな収束を見届けたからここに書いているというそれだけのものに近い。

 

神山智洋くんという人をはじめて好きだと思ったときのことを今でも鮮明に覚えている。かみやまくんをいちばんに据えていた時期のこと、初めて会いに行った時のこと、彼のパフォーマンスを見て腰を抜かしたこと、好きすぎて泣きながら夜を明かしたこと。ぜんぶわたしの細胞に織り込まれた情報みたいにずっとわたしの中にある。わたしはかみやまくんのことを猛烈に好きであったなと今となっては思い出みたいに思ったりするから、もうこれは「降りるべき」時が来たということだと思う。そのコンテンツに魅力を見出せなくなった時、既に自分は対象の範囲外にいることなんてずっとわかっていたけれど、まだ大丈夫、とかよくわからない言い訳をしてまでもすがっていたかったところが大いにある。そのくらいたのしくていとしい時間だったのだ、わたしにとってのかみやまくんというひとは。

 

わたしはエンターテイメントについての浪費癖がひどいから、ひとりのひとを長く好きでいることに向いていない。保って1年、というところで、そんなわたしが2年半も好きでいられたのはひとえにかみやまくんがそれだけ魅力にあふれた人だったということでしかないなあと感じる。

かみやまくんにはいろんな感情を見せてもらった。好きで仕方ない人に会いに行くワクワク感もそうだし、知らない土地に降り立つ緊張感もそうだし、バスに揺られながらああわたしの目の前で起こっていた事はもしかして夢だったのかなと幻想のように感じる気持ちもそうで、かみやまくんを担当と呼んだ2年半はわたしの人生にいつだって「はじめて」をもたらし続けてきた。この先ずっと好きでいたい人に出会ったことならあったけど、この先ずっと好きなんだろうなとある種諦めに近いような確信をもったのはかみやまくんしかいない。たぶんこの先わたしが生きていく上でこんなことを感じるのはこの人だけなんだと思う。

ひとのダンスを見て腰を抜かすことなんて、後にも先にもかみやまくんだけにしか起こらない現象なんじゃないかと思う。こころの深層まで入り込んでくるみたいな歌声も、ギラギラした目つきも、パフォーマンスすべてがわたしのこころをとっ捕まえて離さない。にこにこして手を振っている姿がこれでもかというくらい好きだし、自分のファンかどうかしっかり見極めるところもすき。あの魔法の空間にいるときのかみやまくんの一挙一動はわたしにとって目がくらむくらいつよいひかりで、立ちくらみすらするほどのそれをあびると、わたしの身体をかたちづくる全部の細胞はこの人のことが好きだと全身全霊で叫ぶ。

 

今のわたしは、これらのぜんぶ思い出にできてしまうなと、真冬の深夜、ふと気づいてしまった。もうわたしのカメラは動画モードでなくたってよくて、シャッターをきるだけでいいという結論に寒さに晒された思考はたどり着いたのだ。切り取られたそれを、わたしは「担当」じゃなくて「ファン」という形で見ているだけでじゅうぶん満足してしまうことに気づいた。

涼さんを好きになったことはきっかけのひとつに過ぎない。もし今年の夏に降りることを決意していたならそれはわたしの中で涼さんがかみやまくんを上回ったということにほかならなかったんだろうけれど、今のわたしは良くも悪くもフラットな状態でいる。涼さんがすきだから、というよりは、わたしのなかのかみやまくんへの感情が収束したから降りる、というそれだけの話だ。怠惰がきっかけで自分の気持ちとまっすぐ向き合って思考してみて、かみやまくんへの気持ちに折り合いをつけようと腰を上げただけである。でもはっきり言って、涼さんのことを好きにならなかったらわたしは今もかみやまくんの担当を名乗り続けていたんだろう。それでもわたしは涼さんへの好きをやめるつもりなんてサラサラなかったし、いつかこうなることも可能性としてわかった上で好きになったから、そんなイフは考えるには値しないのかなと思う。何が幸せかなんてわたしが決めるから、選ばなかった道にあるそれをうらやむことはしない……と言い切りたいけれど、まだまだかみやまくんやジャニーズWESTに魅せられる可能性がある人のことはやっぱりうらやましいなあ。

 

かみやまくんのことは今も好きだしこれから先もきっと好きだ。だから特段なんにも変わらない。けれど、わたしはかみやまくんの担当として、彼もしくは彼らの現在や未来の「当事者」を名乗ることはもうここで終わりにしようと思う。とっくにコンテンツの対象ではないし、今のわたしには怠惰を打破する気がなさすぎる。不精の結果というのが甚だ恥ずかしくはあるけれど、わたしのかみやまくん担当人生は一旦ここでおしまいだ。ツアーに行ってみてまた当事者になりたいと思ったら、それはそれでまたポエムをつらつらと書こうかなと思う。

 

神山智洋さん、だいすきです。たのしかったよ、ありがとうございました。 年内最後のエントリが担降りブログだなんて年明けは全く思わなかったなあ。

必須科目:幸せ

先月さよならを告げたつもりのひとのことを、今更やっと知った。わたしの中で引かれていた線は、おおきな波にのまれて消えてしまいそうだ。ちいさな波が押し寄せるたび、線の端からじわりじわり侵食されていくのを感じていたけど、もう限界かもしれない。区切りをつけたと思っていた。思っていただけだったみたいで、そして短期間でわたしにそれはそれは深い爪痕を残したそのひとのことをなんでもない気持ちで見ているなんて無理な話だったみたいだ。もっと前に知っていたかったなあと言うのは、あんまりにわがままだろうか?ごめん、許してください。それでも好きなんです。

 


末澤くんは、大学に行っていたらしい。そんなことすら知らなかった。わたしが出会ったときの彼は22歳で、そうか、あのとき卒業のタイミングだったのか。2年も経ってから知るなんて間抜けだね。でも今じゃなかったらたぶん たぶん知ることはなかったと思う。


ちらりと小耳に挟んだりしていた末澤くんの「仕事がなかった時期」の話を本人が話していた。小耳に挟んでいた程度でどのくらいの期間仕事がなかったのかとか、本人がどう思っていたのかとか、やっぱりなんにも知らなかったわたしは、ガチンと杭を打たれたみたいだった。十字架に磔になったような、なったことがないからわからないけど、例えるならそんな気分だった。誰に向けて晒しあげられているわけでも、誰から晒しあげられているわけでもないけれど、たまらない気持ちになった。末澤くん、末澤くん、そんな気持ちだったんだね。知らなかった。

仕事を辞めたいと思ったことはあるだろうと想像するのと、そう思ったことがある、辞めようと思うとマネージャーに伝えたと言われるのとは、ぜんぜんちがった。辞めたいって思わないのかなあって、ふと、悲しくなるくらいふと思ったことがあったけれど、それとは比べ物にならないくらいの息苦しさだった。過去のことだから、過去のことになっているから申告できることなのだと思う。現在について語るにはあんまりに不利というか、不安定というか、そういう立場だと思うから、きっとそんなこともあったねと話せるくらいの「過去」なんだとは思う。末澤くんは、人前に立つ人格を捨てようとしたことがあって、もし、もしそうなっていたらわたしの人生どのくらいちがったんだろう。そんなときだってわたしは自己中な人間だから、末澤くんがいなかったとき、出会えなかった時のわたしの人生を考えた。たぶんわたしは、わたしは こんなに苦しい思いをしなくて済んで、だけど、こんなに愛しいと思うひとに 幸せになってほしいと心の底の底から願えるひとになんて出会えなくて、こんなに泣いたりなんてしなかった。

愛おしくって、幸せになってほしいってなんでもない夜に思うこと このひとがしあわせになってくれたらこの世界どんなに愛せるかなって布団をにぎりしめること 苦しいならばいっそ嫌いになってしまいたくて歯ぎしりしながら泣くこと 全部なかったんだと思う。わたしの人生豊かにしたのは、明らかに、明らかに末澤誠也さん、あなたです。苦しさも切なさも、喜びも嬉しさも、感情ぜんぶ100倍にも1000倍にもしてくれたのは、末澤くん、君でしかないよ。

ねえ、ねえ、大学2年の末澤くん。辞めないでいてくれてありがとう。20歳の末澤くん。人生の分岐路に立って、それでもマネージャーさんの言葉に引き止められてくれて、本当に本当にありがとう。受けてみるかってそれでも思ってくれてありがとう。末澤くんは愛されるべきひとなんだよ。

 


ファンの人が思っている何百倍も強いなんて、それを口に出せる末澤くんは、きっとわたしが思ってる何億倍も、それ以上にだって強いんだろうなあって思う。見くびっててごめんね。しんどいなかでも誰かを笑顔にする仕事。そうなのかもしれないし、その言葉を投げかけられる文一くんも、その文一くんの言葉を大事にできる末澤くんも、どっちも素敵でだいすきだけど、それでもしんどいときはしんどいって言える場所があってほしいよ。それがわたしみたいなファンの前でなくってもいいから、泣きたい時は泣いて、嫌な時は拒否して、そういう子供みたいに駄々こねるときがあったっていいんだよ。そうあってください。人間であるところを殺してまでステージに立ってくれていること、これでもかってくらい知っているから、だから、だから。人間であること、忘れたりしないようにするから。ありのままであれる場所を持っていてください。見つけているなら、見つけたなら、必ずしがみついて離れないでください。

 


めそめそしていたわたしが弱かっただけみたいだ。末澤くんはずっとずっと強くて、ずっとずっと前を向いていた。心配してくれている人もいるかもって、でも切り替えて前を向いているよって、チャンスだと思ってるって、そういうところが好きなんだと思った。わたしは、わたしはあなたの、大事な時に大事なことばを包み隠さないでそのまんまストレートを伝えてくれるところがだいだいだいすきだよ。幾度となく救われてきたよ。


弱虫で臆病で自己中で、だめなところばっかりのわたしだけど、末澤くんのことまだ応援していたい。担当とか、そうじゃないとかわからないから、出戻りって言われるのか言っていいのかわからないけれど、それでもわたしがいちばん幸せになってほしいと願うひと。それが末澤誠也さん。

末澤くん、このことば、今まででいちどだって贈っていなかったね。情けないけど、いまさらだけど、いちばんがひとりじゃないかもしれないけど、いわせてください。


あなたのことがいちばんすきです。幸せになってください、必ず。

 

 

主人公シンドローム

 

わたしは、「主人公」を纏うセンターがたぶん、とてもにがてだ。

 

センター。それ自体が苦手なわけじゃあない、と自分では思う。9人組をすきだったとき、わたしは赤色の涙ボクロくんのことがすごくすごくすきだった。いまも好きだ。とっても可憐で かわいくて きらきらで そんなひかりの裏で 計り知れないほどの重圧と戦っていたわけで、それがデビュー10年を間近に控えた頃、ようやくすこしその小さくてつよい背中から降りたのかと思うと、いつでもたまらないきもちになる。ずっとずっと、戦っていてくれたんだと思うと 本当にこのひとはこのグループが大事なんだと思うと 涙がむぎゅうと押し出されてしまうくらい そのくらい思い入れがある、とおもう。いつだって真面目で実直で グループのためならと自己犠牲をいとわない人で きっとたくさんひとりで悩んで傷ついてきて そういうセンターがわたしはすきだ。ここに分類していいのかはわからないけど セクシーな5人組のまんなかに立つ人のこと 彼もまた赤なわけだけど その人のことをどこか「特別」に位置づけてしまうのは、そういうセンターが好きだからだと思う。あっちゃんと呼ばれた彼女がその当時すごくすきだったのも、幼心ながらそこに共通するなにかを感じ取っていたからかもなあと 今考えてみれば思う。グループの象徴を担うひとがわたしは好きなんだろう。このあたりのはなしは友人からの受け売りみたいなものなので、そこだけことわらせてほしい。

ハイハイジェッツでいうなら、先述したセンター像に当てはまるのはやっぱり赤を背負うそのひとなんだとおもう。それだからこそ、わたしはたぶん瑞稀くんのことが一定ラインをこえてすきで、それだからこそ、彼が真ん中にくることにわたしのこころは異議を唱えない。彼がグループのために自己犠牲を図っているかと言われるとそれはわからないんだけど、尊先よろしくセンターを張っている気がする。

 

じゃあ高橋優斗くんだったら異議を唱えるのかというと、ちょっとわからない。ただ、優斗くんがセンターにいることに、なにかしらくやしさみたいなものを感じているのは事実として認めざるを得ないところだ。いつの回だったか…比較的最近だったけど、少クラのシェイクイットアップを見たとき 優斗くんが立つセンターを見たとき 明確に負けたと思った。思わされた。優斗くんがセンターにいるハイハイジェッツがあんまりつよくて、あんまりに優斗くんが主人公だったから。くやしいとおもっていたんだとおもう。でもこのひとがひっぱる物語が見てみたいとこころの奥底のわくわくがわきあがることを抑えきれなくて、余計にわたしは勝てないと思った。涼さんには、そんなふうに思わせることはたぶん、たぶんだけど、できない。

瑞稀くんのセンターを見た時には感じないことを、優斗くんのセンターを見た時には感じる。みじゅはきっと、センターにはなれるけど主人公ではない。そんな気がする。なにが優斗くんを主人公たらしめるのかわたしにはわからないけど、彼は運命とか天命とかいうやつを背負ってるのかもしれなくて、それはハイハイジェッツのほかの4人だれも持っていないものなんだとおもう。そういう彼がセンターにたつのは順当に考えれば当たり前かもしれなくて、でもやっぱりそんなの、と突っかかってしまうわたしもいる。言ってしまえば 一介のオタクでありながらわたしは、涼さんを借りてないものねだりをして悔しがっているってことなのかなと 的外れになりかねない憶測をしたりする。なにかおっきなそれを背負うひとが、心底うらやましいんだと思う。わたしの主人公を張っているはしもとくんが、ハイハイジェッツの主人公でないのはなんでだ?と凄むくらいの勢いで…そんなことを思っている。結局わたしは、すきなひとが真ん中に立たないことを 立てないことを 諦めきれないだけなのかなあ。諦められる日、諦める日、そんな日ってくるんだろうか。わたしのまんなかにいるひとが世界のまんなかでないことを理解して受け入れる日なんてくるんだろうか。みじゅがセンターを張ることをなんてことない気持ちで見ていられるのは、好きだとふつうに言えるのは、彼らがシンメトリーを組んでいるからではなくて、みじゅはみじゅだけの主人公でありそこに嫉妬みたいなものはないから、っておもう。優斗くんがたつセンターは あんまり強くてあんまりかっこよくて あんまりにハイハイジェッツの「はじまり」だから それを背負う優斗くんがわたしはうらやましくて いっそのこと優斗くん担になっていたら…って思わないでもないけど、でもわたしの運命の手綱を握るのはほかのだれでもない 橋本涼くんだ。はしもとくん以外のだれにだってわたしの運命の手綱を握らせたくはないから はしもとくんにだけ握っていてほしいから そこがわたしの気持ちの中でグリグリ、ジリジリ、と摩擦を起こしている。優斗くんを見ていると、摩擦係数の数値は最大値を観測してしまうから、だからわたしは彼みたいなセンターが苦手なんだと思う。それでいて、にがて、と、すき、と、うらやましい、はぜんぶおんなじ紙の上に並んでいる。根底にあるのはいつだって猛烈な嫉妬だ。

 

やまださんや勝利くんいうセンター。瑞稀くんがここに含まれるとなるとちょっと定義としてわからなくなってくるけど、もしかしてそこに一貫してあるものというのは、「同情」なのかもしれないと、ふと思う。自分を切り捨てるそのひとたちはどこか「かわいそう」だから、それは引き金としてじゅうぶんで、好きになるのかもしれない。そして彼らはたぶん、センターであれど主人公ではない。9人なら9人、5人なら5人、それぞれのひとに主人公を語り名乗るチャンスもストーリーもある。

対して、優斗くんや、たとえば重岡くん。そういうセンターはどうかと言われると、かわいそうって思うことがないなとわたしは考える。自分を切り捨てて真ん中に立ちなどしないわけで、そのまんまたかはしくんとして、しげおかくんとして、センターに立つ。主人公然として、真ん中で道を切り拓く。推されだからそうなんじゃなくて、そうだからこそ推されなんだと思う。ほかの人を主人公に据えることを許さないのだ、その性質が。主人公として他者の追随をゆるさない。

 

さっきからずっと言ってるけど、単純にわたしはそれがうらやましいだけなんだと思う。センターを好きにならないわたしの好みと、自分の好きな人がいつでも真ん中で愛されていてほしいというわがままが自分の中で合致しないだけで、ほかのだれもわるくなくて、ただただわたしの問題なんだろう。わたしの中心は世界の中心であれよとひどい自己中を発揮しているだけなんだ、たぶん。「だから」で片付けていいのかわからないけど 優斗くんのこと、ちゃんと好きになりたい。でもちゃんと好きになれなくて ずっと逃げている。優斗くんに踏み込むのは たぶんわたしには向いていないし、と 高橋優斗くんのことを考えたくないわたしはそっぽを向きまくっているけど、いつか一周してゆうぴーすきだなあってハイハイジェッツを好きになり始めた頃とおんなじように言えるようになればいいと思う。いや ゆうぴーのこと好きなんだけど …でもなんかまだ悔しいから もしCDとか出しちゃったりする時には ゆうぴーがセンターにいることを誇らしく思っていたい。みんなの青春背負っちゃうゆうぴーを、好きになっていたいな。

 

ゆうぴーがにがてなのは、わたしがすきなおともだちがゆうぴーに素敵な文章を書かしめられているってのもたぶんあって、わたしははしもとくんでそんな素敵なこと書けないから、やっぱり結局は全部嫉妬なのだ。みにくいな、わたしは。顔も性格も醜形を極めたわたしだけど、それでもわたしなりにゆうぴーを等身大でみることができる日が来たらいいなあ。

ギブ マイ ブラッド フォーユー

 

友人と別れてぽつりぽつりひとりで歩いているとき。その日の労働を終えて冷たい風を切りながらペダルをふむとき。もうすっかりなれっこになったひとりでの食卓をふと見下ろすとき。眠気に抗えなかった夜を客観視するとき。

虚空がわたしのなかで、突然おんぎゃあと産声をあげるとき、わたしはよくアイドルとアイドルを消費する自分自身を考える。虚空を応援しているからこそ それは虚空がうまれたときの拠り所になっている気がする。

 

去年の秋。わたしはにじいろを謳う7人のことがただひたすらに好きだった。たしか去年も10月にツアーが発表されて わたしは彼らのそれにはじめて申し込むことができて うれしくて 落ちる当たるの二極化された世界におののきながら それでも申し込むという形で既に参加できたことがやっぱり嬉しかった。その前の秋は自分のことでせいいっぱいだった。その前の前の秋は…そうだ 年の終わりにそのころすきだった9人の天使みたいなひとたちに会いたくて色々奮闘していた。考えてみたら、秋はわたしにとって、すきなひとたちに会う準備の段階を踏むための季節だったのかもしれない。そんな意識はこれっぽっちもなかったけれど。

 

今年の秋。わたしはそのふかふからしい高級な絨毯をわたしの足でふむことも感じることもなかった。その重厚な外装を見に行くこともなかった。なかったというよりは できなかったというほうが正しい。わたしにはそのドリームチケットは「ご用意されませんでした」だった。上演の時を同じくしていた舞台に足を運んでいたからか…いや、全く関係ない気はするけど それをそのときはなんとも思っていなくて そのあともなんとも思っていなくて 今はすこしだけ 悔しいと思っている。本当はすこしじゃないけど、終わったことをあれこれ言ってもと大人ぶりたいから、すこしと言わせてほしい。わたしの手元にはそのつるつるの厚紙はなくて、それを点線で折り返したりすることも もぎられたりすることもなかった。17歳のわたしのすきなひとを見られるのはそこが最後だったと気づいたのは 終わって随分経ってからだった。17歳がしんでいく様を見られたのは 17歳がいきている様にはじめて触れた夏が最後だったんだなあと思った。そうかあ、17歳に触れたのは わたしはあの夏のあの地下の小さなハコが最初で最後だったんだなあと 虚空が誕生したとき その気持ちもぼんやりとラピュタみたいに宙に浮いてそのまま 今も行き場を失っている。秋を終えて冬に差しかかった今 彼は18歳として生きながら18歳を毎日ころして19歳に向かっている。

真ん中に立たない 立てない そういうしにゆく17歳の彼を見られたならば わたしはどういうきもちになっていたんだろう。好きに襲われていたかな。彼が創るあお色のドリームランドにすっかり飲み込まれていたかな。有と無が最大限に混じり合う0という数字を彼が背負わないことに、ひどいジレンマを感じていた可能性だってある。もう一生わかり得ないことだ。絶対に叶わない「もしも」をわたしは何度も自分に問いかけて あるんだかないんだかよくわからない傷口に塩をていねいに塗り込んでいた。じぶんのことなのに、傷口の有無がわたしにはわからなくて、それが痛いのかどうかも涙が出るほど染みるのかどうかもわからなかった。ただ、ドリームランドは、少なくとも2018年のそれは、わたしの中でこの先ずっと存在しない。それだけが明確で白日のもとに晒された事実だ。

 

どこまで行けるかなんて誰にも決めさせないと歌う画面のなかのその人を見たときに はじめて涙が出た。くやしいと思った。他人と比べてとかそういう劣等感じゃなくて わたしはわたしがその絨毯を踏めなかったことが その座席に腰をおろせなかったことが それ自体だけがどうしようもなく 同時にとてつもなく悔しくて悔しかった。わたしはこの人が作ってくれる どこまでだって現実の ゆめの世界の住人になりたくてしかたなかったのに わたしにはその権利はなかったということに今更ながら気づいた。チケットがない人には入場の資格はない。至極当たり前で残酷で わたしを傷つける棘を幾重にも装備したひどいかたまりだと思った。くるしいと思った。棘は喉元を通り過ぎることもなく 熱さを忘れさせてはくれず ああわたしは9月からずっとずっと息苦しかったんだなと気づいた。ギラギラとした閃光を画面越しに投げつけられて ぐるぐる悔しくて 苦しくて すごくすごくいやだった。そんなおもいをしてまでも わたしがわたしを傷つけてまでも うしろに光以外の何を背負うでもなく 翼みたいなローラーを自在に操ってステージという地を踏んで にやりと闘志をのぞかせるまっくろくろすけみたいな人工の色の髪をしたそのひとを嫌いになれなくて それどころかどうしたって好きで、アンタ むちゃくちゃ彼のこと好きじゃんと 別人格のわたしがわたしを嘲笑っていた。大量の血を流してようやくはじめて わたしはその血のあたたかさに気づいた。それはとても鮮やかな赤色をした動脈血だった。

 

なんにも考えてこなかったとはいえ それでもオタク10年選手になろうかというわたしだけど 今でもやっぱりそういう傷には慣れない。家庭環境とか 自分自身の精神問題とかポリシーとか そういうのを加味するとわたしはもしかすると他人よりそうやって傷ついた回数が多いのかもしれないけど、好きでいる限り慣れる日は来ない。虚無がわたしを支配した時 その傷口の数に驚いてしまうことがあるし そのどれもがずっと生キズのままうっすらとした膜だけが張った「ギリギリセーフ」の状態でわたしのこころのあちこちに存在している。なにかきっかけがあればその薄膜は簡単に剥がれてしまうし 何年経ったとて上から触れば痛いし 些細なことで血は流れるし ただそれに気付かないふりをするのがだんだんと上手くなるだけだ。痛くったって痩せ我慢をすることが普通になるだけだ。これからもわたしに向けて「ご用意できませんでした」の矢は数え切れないくらい飛んでくるんだろうし そのたびに傷つくんだろうし わたしが行けないそんなステージなんてなくていいとか自己中心的なことも思うんだろう。解決方法なんてない。あってもこれから先もずっと知らないままだし 知っていたとしてわたしにはできないことな気がする。傷ついたことに気付かないふりはできるようになっても そもそも傷つかないことなんてできない。だってオタクは というより少なくともわたしは、すきなひとがそこにいるのをいつだって確かに感じていたい欲深い人間だから 何回だって血を流す。懲りろよと思う。でも懲りたらそのときわたしは オタクという人格を捨ててまたなにか別のものを武装して生きていく そういうタイミングなんだろうな。今は懲りないで何回だってその矢に丸に丸腰で立ち向かう。まるごとひっくるめて それがわたしの自己満足な愛だから。

 

いつかこの先 この傷がかさぶたになるとき 傷跡の数を見て馬鹿だなあと笑いながら泣けたら きっとそれがわたしが彼らを愛していた存在証明で その涙のあたたかさに気づけたら もしかすると幸せだったと全部肯定できるのかもしれないな。

未無虚空

 

わたしは小学校5年生の頃から嵐が好きで、オタクとしての自我が芽生えたのは中学生の頃だ。ジャニーズ・オタクでいることはわたしのなかでなんの不自然もなく成立していることで、特別にそこに対して何を思ったこともなかった。たぶん他人からどうこう思われたこともない。見た目とか ダンスとか うたとか そういうのの上っ面をなぞって アイスの溶けた部分から食べるみたいにして オタクをしてきた。それに疑問をもったことはなかった。

考えるのがにがてなわたしには、それでちょうどよく「美味しかった」というわけだ。それでおなじようにおなじように わたしは5年も10年もオタクをしてきた。

 

だから、だから?だからということばでぜんぶなしにしていいのかはしらないけど、わたしはこの人がどういう人なんだろうとか 自分はどういうふうにこのひとのことを捉えているんだろうとか そういうのを考えてこなかったから、いまもそれがにがて。

 

今年の春…名実伴ったのは夏なんだけど。そのくらいの頃から、ジャニーズジュニアの世界に足をポチャンと浸けたりしてみていて、いや足どころのはなしじゃないのはわかってるんだけど、思ったのは、まわりの人間が色々をことばにしたがるってことだ。洞察力のないわたしはこれも言われて気づいたんだけども。さておきジャニーズジュニアを応援する人は、みんなじゃないけど、結構な確率で、感情とか事実とか そういうのをことばにする。自担は思うにどんなひとで、どんなところがあって、自分はどういう人だから、こういうところが好き、みたいな。

見るたびに、いや、できねーなーっておもう。できない。うらやましいなあと思う。わたしにはそういうふうにことばにするという行為…というよりその前段階の「かんがえる」が身についてなさすぎて なんか うまくできないから できねーーって思うのと同時に すげーないいなーーっておもう。わたしは、涼さんのどこが好きかわからないし実際のところたぶん自分にわかろうとする気はあんまりないし知らない。好きなもんは好きだし きらいなもんはきらい。そこに理由なんてある?あるんだよ…ってなる。でもその理由は脳が足りないわたしにはわからないから結局できない。

受け取るものに対してもそう。受け取ってそれをどうこう言うのがむちゃくちゃにがてだ。どうこう言わなきゃいけないわけじゃない、のは、わかってるんだけど、ただ批判がにがてだなとおもう。わたしの性質として、悪いところが見えないというか 肯定することで自我を保っているというか…そこに対して考えとかないから これをあげますと言われても うんありがとう!え〜めっちゃいいじゃん!おわり。という感じ。授業を受けてその時間の最後に感想を書かなきゃいけないとかってなったときに、いや、何書けばいいんだよって思うのに似てるかもしれない。「かもしれない」だからわからないけど。

 

それらしいことばを何個か並べ立てて文章を書いてはみたけど うーん ちがうなとおもった。わたしのそれには中身がないというか。結局スカスカなまんま それこそ授業終わりに出す「興味深いと思った」を乱用した感想みたいな そのくらいのものにしかならなかった。思っていることではあるんだけど 他人の目を気にした安い文章だなーと思う。自分のそういうところが心底きらいだともおもう。公開してはじめて意味を持つような そこにしか意味を見いだせないような そういう文章な気がしていて。他人の目を気にして、評価が欲しくて書く文章の陳腐さとか 間抜けさとか そういうのがところどころに散りばめられているわたしのそれは本当に酷いと思うんだけど、わたしがそもそも文章を書くきっかけになったのってそういう気持ちだから、一生治らないビョーキ、みたいなものなのかもしれない。そりゃあ考えてもないのに 文章を書いたところでなんにも変わりはしない。当たり前だ。当たり前がひどく虚しい。そうしてまたこの記事も公開する。たぶんわたしは人に伝えるために書くことも 自分に伝えるために書くこともできなくて 誰かにとっての唯一無二を作る文章をうむことはできないんだとおもう。ほうら、他人からの目を気にしている。誰かに好かれようとするわたしの媚びへつらった文章がわたしはだいきらいだ。

 

自分の感情に向き合うのも、それをこねくりまわすのも、どっちもにがてだ。きっとわたしは知ったようなふりも顔もできる。その擬態能力は、たぶん自分には備わっていて、でもわたしはこれから先もずっとそんなふうにしてオタクをするのかと思うとむなしさというか 嫌気というか よくわからないけどマイナスに強く帯電した気持ちが鉛みたいになって心の重石ができてしまう、みたいだ。

全肯定がダメとか言ってるわけじゃないし、わたしは全肯定型オタクって楽しいと思うから、全然いいなーと思うし 自分がその形態をとっていることにむちゃくちゃ嫌な気持ちがあったりするわけじゃないんだけど、ただわたしの全肯定は「選んだ」ものじゃなくて、結果として「なってしまった」ものだなと思う。否定ができないから肯定をしている。それだけだなと思うから、ときどきなんか なんかわからないけど情けなくなる。情けないってどういう感情だよって思うけど、でもあの気持ちは情けないってことばがいちばん近くにいると思う。否定しなきゃいけないわけじゃない。知ってる。というかわたしは、否定したいんじゃなくて批判がしたいだけなんだ。自分を持っているふりをしたくて。自分をもたないわたしは見栄をはりたいだけで…あ~~~書いていて気づいてしまった…見栄をはりたいだけなんだな…。批判をすることがステータスじゃないけど わたしよりひとつ上の段にいる人達がすることのようなきがしていて、それがうらやましくて 結局まねっこで生きている人間がわたしという生き物なんだなと 今気づいてしまった。真似をした先には虚無しかないのを知っていて また真似をして 空を切って、そうやって生きているのがわたしなんだな。

 

書きたい文章が書けるようになりたい。それはニアリーイコール自我を持ちたいってことなんだと思う たぶんね。話し言葉で書いたらフラットになりすぎちゃったな。

あなたにお手紙書きましょう

 

たまらなく、橋本涼さんのことが好きだなあと思う。直近で何か現場に行ったかと言われると否だし、オタク活動としてなにか転機があったかと言われると、それも否だ。ただ、ただひたすらに、橋本涼という人間が作り出すアイドル像が好きだなあと思うだけ。それだけ。

 

 

拝啓 橋本涼

新涼の候、いかがお過ごしでしょうか。

 

もう寝てるかな。

 

あなたはもしこれを読んだら、どんな顔をするんだろうか。気持ち悪いって思われてもいい、俺はそんなやつじゃないと思われてもいい。知った顔で話をさせてほしい。わたしがあなたに出会えたことは、わたしにとって人生で指折り数える奇跡みたいなことだと思うから。そんな人に出会えて幸せだという話を、知ったかぶりを、させてほしい。たくさん幸せにしてもらっているから、たくさん幸せになってほしいと、願いとエゴと私見をいっぱい詰め込んだこのエントリを書きます。あなたに出す本当の手紙には、こんなこと書けないから、ね。ポストには入れないかわりに、ラブレターみたいな怪文書をこっそり書きます。

 

涼さんの賢くてズルいところが好きだ。ずる賢いとは違う。賢くてズルい。計算と天然の入り交じり具合が、常人の配分ではないと思う。人を好きにさせる人のそれだ。なにか具体例を挙げろと言われると難しいけど、たとえば涼さんはすごく周りが見えている人だなと思う。賢い。知性の面で秀でているかと言われるとたぶんそうではないけど、人間としての賢明さみたいなものはとてもある人だと思う。些細なことでは怒らない。落ち込んでいる人はそっとしておく。人見知りでも言語が通じなくてもコミュニケーションを諦めない。ぽつりと発言することで場を和ませる。喧嘩をしてもいいと思った人には全力でぶつかる。甘えてもいいとわかったらとことん甘える、頼る。周囲に対しての感謝を忘れない。当たり前を当たり前と思わない。どれも人間が上手く生きていくために欠かせないことだと思う。大抵の人間は、これが大事だと分かってはいても、実行できない。実力不足かプライドの問題か、それは人それぞれだけど。それをサラリとやってのけるのは、彼の生まれ持った人柄なのか、家庭や学校や職場で育まれたそれなのか、わからないけど、そういうところがとても好きだなと思う。こどもっぽくいることで、大人びた人。そんなふうに思う。

 

普段は彼の優しさで覆い隠されているその野心が見える時が好きだ。とてもゾクゾクする。好きの沸点が途端に低くなって、やかんからお湯がふきこぼれるみたいに好きの気持ちがこれでもかと溢れ出る。強い語気でああなりたい、こうなりたい、みたいなことはあんまり言わない印象がある(〜してみたいなあみたいな言い方はしているしそういう柔らかさが好きだ)から、なんとなく現状をこなすようなぬるりとした感覚でアイドルをやっているのかなと思わされることもたまにある、けど、それは違うなとパフォーマンスでそれを感じる度思う。彼はたぶん、彼なりに上を目指しているし、「もっと」と貪欲に生きている。きらきらとした水分量の多いその目がぎらりと人を射るような光を放つとき、わたしはかならずその矢の餌食になる。刺さった矢が抜けないまま、今日この日まで彼の魔法が全身を駆け巡り、手先足先まで痺れ切っているようだ。好きの魔法は根深い。ビリビリとした痺れがまわった手指では彼への「好き」以外が掴めない。わたしも一緒に戦わねばと、彼の未来を見るべく共に奮闘しなければと、伴走者としての意志を固める一方で。いつの間に、いつの間にこんなに好きになっていたんだろう?

 

 

夏真っ只中のあの日、地下で人と光に埋もれながらピカピカと輝く彼を見たとき、ああ、圧倒的に人間だと思った。わたしも人間で、彼も人間だと。こんなことを思われるのは不服かもしれないが、やはりコンサートも終盤に向かうと、疲れの色が見えた。それはそうだ。休演日はあれど、毎日毎日2公演、2時間半。オタクだって疲れているのに、彼らが疲れないわけがない。人間は身体を動かせばそれに応じた筋肉が疲れる。汗が流れる。人だ。人だと思った。その「人」が、わたしたちという「人」を魅了するためにめいっぱい努力して、疲れを隠そうときっと必死になっていて、毎日同じ場所で同じで違うパフォーマンスをしていた。わたしはそれを一目見たときから、彼に恋と愛と尊敬とそのほかのいろんなエゴをごちゃ混ぜにした感情を体内に飼い始めたのだと思う。人間が作り出すステージと、そこに立つ人間に、わたしは惹かれた。むちゃくちゃ人間だったけど、むちゃくちゃアイドルだった。いちばん近くで、いちばん遠い存在を見た。涼さんの「担当」を正式に名乗ってもいいと自分に自信が持てたのは、そこからあとの話だ。「必死」や「真剣」って、こんなにきらきらしているのかと、衝撃を受けた。物理的距離が近いことって、こんなにも大切なのかと思った。遠くたって会場にいる限りそのきらきらは届くけど、近いとこんな速度で、こんなにたくさんきらめきがダイレクトに届くのかと思った。わたしが「概念」としての橋本涼さんではなくて、「存在」としての橋本涼さんを好きになったのは、紛れもなく暑くて近くて痛くて狭くて、それでもまぶしくて愛おしいあの空間だった。

だから、というのが正解なのかはわからないけど、わたしは夏の涼さんが好きだ。いつまでも夏に出会った彼によくわからない憧れのような、未練のような、そんな感情を抱いている。あの金色を、ずっと忘れられない。もう何ヶ月も経って、記憶を持っておく力があんまりないわたしの脳内ではほかの記憶はぶよぶよにふやけてしまっているのに、あの色を纏った涼さんがわたしの目に飛び込んできたあの瞬間だけは、それだけは印を刻まれたかのように鮮明に心にある。今まで好きになれなかった夏。そんな季節をひと目会ったくらいで、そのくらいで、好きにさせてしまうような、特別にさせてしまうような、そういう閃光みたいな魔力を持った彼だった。うだるような暑さも、どこを歩いてもつきまとってくる容赦のない日差しも、みんな少し浮き足立ったような空気感も、ぜんぶが、全部がきらいだったのに、見ている景色は涼さんによって真っ逆さまにおちた。夏が彼をそうさせるのか、彼が夏をそうさせるのか。たぶんきっと両方だったんだと思う。私の好きな人なんだよ、と世界に見せびらかしたくなるのは、目の前がスパークするくらいまぶしい夏の彼だ。今年の夏の涼さんは、本当に本当にかっこよかったんだ。わたしはそんな季節に彼を好きになったから、だから、わたしはたぶんこの先一生、そこがどんな季節であっても涼さんと「夏」を駆け抜けたいと願ってしまうのだと思う。

 

あの瞬間はたしかに人だと思ったのに、時が経てば経つほど、わたしのなかであの時の彼は幻影に近づいていく。夏のまぼろし。あまいあまいミルクティーみたいな金色に染め上げていた髪を茶色や黒に戻した彼を見ることにも慣れてしまって、小さな箱の中にいる「人」から、画面のなかにいる「アイドル」に戻っていくのをじわりじわり2ヶ月間かけて感じていた。それでも「おいでよ」と招かれた「サマーステーション」を経たわたしは、涼さんを画面の向こう側ではあるけど、確かに存在する「人」として認めるようになった。担当をすると決めて半年で、わたしは橋本涼さんという「人」が演じ、作り出す「橋本涼というアイドル」のことが、ジリジリと焦がれるほど好きになってしまったらしい。

 

 

涼さんは、余裕があるように見せかけるのがとても上手い。そういうところもすきだ。でも余裕のしたには、きっと人一倍の努力と反省とがある。2016のドリボを振り返って、だったかな、重いなと思うくらいの反省を何かの雑誌で述べていたのを見たとき、とか、寝巻き男子でやらなくてもいいと思ったと述べているのを見たとき、とか。余裕が生まれたのは、そのくらいマイナスに帯電した経験があるからで、そういうところを隠さないこの人のことが好きだなあと、最早呆気に取られる。人並みかそれ以上に色んなものにジェラシーがあるし、色んなものに対抗意識があるし、負けた時には自己嫌悪がある。わたしだったら、そんなこと隠しておきたいなあと思うのだ。マイナスに帯電した自分は、なんだかかっこ悪い気がして。それでも涼さんは、ぜんぶさらけ出す。恥ずかしげもなく、こう思ったけど、こう言われて、がんばろうと思ったよ、なんて。応援しがいのある人だ。だって、だって、負けないでほしいって思っちゃうから。多感な時期により多感にならざるを得ない環境に置かれている彼を支えたいと思ってしまうから。そんなふうに素直に吐露されると、こちらもそれにこたえるかたちで応援したいと思ってしまう。きっと失敗しても成功しても、全てではないにしろこちらに手の内をあかしてくれる、そういう「疑念のなさ」みたいなものが、とってもすき。

「素直」という側面は、彼の計算外なのか計算内なのか、涼さんが賢いところだなと思う。つまらない見栄を張らない人だと。そういうところもやっぱり好きなのだ。プライドとはまた別の問題で、この時はこう思ったということもサラリと言えるし、他人の言うことをストンと自分に落とし込める人なのかなあと思ったりする。人の言葉に耳を傾けることができる人。ファンレターに書いてある髪型とかのアドバイスは聞かないらしいけれど(笑)そういう所も好きだなあと思う。それはオタクの声を聞くことで自分に有用だと思うことがたぶん彼としてはないんだろうな。それで正しいと思う。きっと本当に大事だと思うことは、オタクからだろうがそのほかの大人からだろうが、きっとちゃんと聞いているはずだ。そういう取捨選択もきちんとできる人だと、わたしは思っている。

飾らないのか飾れないのか、その容姿や置かれてきた環境からはあまり結びつかないような素直でありのままな言葉を紡ぐ人だなと思っている。ただ、タイミングは選べる人だなとも思う。それもまた「賢さ」だと感じるし、生きるのが上手いなあと思う。表裏のない人、長年一緒にいる瑞稀くんからそう評されているのだからきっとそうなのだろう。表と裏を作り替える概念はたぶん彼の中にはない。思ったことを思ったように言葉にして、これだと思うことについては直進してきて、迷いも悩みもぜんぶ何気なくほろりとこぼせる人なんだろうな。弱みを見せることや失敗をすることを恥ずかしいとは思わない人なんだろう。彼が彼を素敵たらひめる理由のひとつは、たぶん、ここにある。

 

ツイッターやその他の場所でもずっとずっとしつこいくらい言い続けているが、わたしはサマステ8/9の夜公演、テンションの頭のところで涼さんが「楽しいね」と言ったことがざっくりと心に愛しい傷を残したまま、跡が消えていかない。というより、跡にならずそのままになっている。この人の事を応援できてよかった、出会えてよかった、わたしがこの人を「選んだ」ことは圧倒的に「正解」だと、聞く度に心の底から思う。アイドルがコンサートのことを「楽しい」と言うこと自体はよくあることだし、それが普通に普通に好きなんだけれど、なんか、あの空間であのタイミングで、「楽しい」という真っ直ぐな言葉を選んでわたしたちに届けてくれたその感性がすごく好きだなあと思う。これは憶測に過ぎないけど、わたしにはあの言葉の前に「みんなが声を出してくれたから」というフレーズがあるように感じる。みんなが声を出してくれたから、楽しい。みんなに名前を呼んでもらえたから、楽しい。そういうふうに聞こえる。

好きだと思う。真意はわからない。でも、そう思わせてくれるところが、それをしれっとやってのけるところが、本当に本当に好きだと思う。何回も擦り切れるほど聞いているはずなのに、その言葉が耳に入る度にぐっと奥歯を噛み締めて零れ落ちるほど溢れた何かに耐えないとたまらなくなるくらい、そのくらい好きだ。その素直な言葉の裏表のなさに、ストンと真っ直ぐな人柄に、わたしは言い様もないくらい惹かれる。やっぱり彼は、人を好いて人に好かれる人だ。

 

 

瑞稀くんといるときの涼さんが好きだ。長年一緒にいるからか、元々ないその飾り気がさらに感じられない。何も言わなくてもわかるよ、隣にいるだけでいい。そんな雰囲気が好きだ。お互いにお互いの存在が、たぶんすぐ手の届く場所にあると思っていて、でもそれを当たり前と思ってはいない。気がする。「腐れ縁」という言葉を彼らはよく使うけれど、彼らが生きるジャニーズJr.という世界で、それがいかに「奇跡」かということを彼らはきっと知っている。だから執着しすぎない。「はしみず」と括り、騒ぐのはいつだって周りで、彼らの本質は「はしもっちゃん」と「瑞稀」でしかない。そんなふうに思う。それでも、涼さんは瑞稀くんとの関係性を「運命共同体」と表した。本当にどこまでも、どこまでも苦しくなるくらい素敵で泥まみれで、だからこそきらきらな関係を築いているんだなと思った。だから、わたしは、片方が歩む隣にはもう片方がいてほしいと願ってしまう。これからも「運命共同体」であればいいな。

作間くんと一緒にいる涼さんが好きだ。ふんわりと平和な空気感が漂っていて、たぶんちょっとだけ涼さんからの愛が重い。かわいい。大人びたふたりだと思う。一歩引いて物事を見るようなふたり。涼さんは物事に付け加えをして、作間くんがそれを清書するような。少し放っておくと、たぶんふたりで外野に行って、ぼんやりしているような。それはたぶん互いに認めあっているからで、そこに嫉妬など多分ないのだろうなあと思う。個が個でしかないことを、絶対値でしかないことを、知っているふたりだ、きっと。だからこそ互いに囚われることなく、正当な評価ができるんだろうな。いや、やっぱり涼さんが作間くんのことちょっと好きすぎるから、たぶん涼さん→作間くんの評価はちょっぴりフィルターがかかっている、気も、しなくもないけど(笑)、そこもかわいいね。

猪狩さんと一緒にいる涼さんが好きだ。ふたりの無邪気な顔が見られる。猪狩さんは涼さんのことをまっすぐ好きでいてくれる、かつ、まっすぐ先輩として尊敬してくれている気がしていて、多分きっと涼さんは猪狩さんを対等に見ていて、なんだろう、すごく素敵な関係性だなと思う。単純に仲のいいふたりだから微笑ましいなあ〜と…猪狩さんは涼さんのことだいすきなんだろうな。笑いのツボが同じって猪狩さんが言っていたのを見て、すごくニコニコしてしまった。普通の男子高校生だなあって。おふざけの波長が合うみたいでかわいい。たぶん涼さんのことをアイドルにもうひとつ引きあげてくれるのも猪狩さんだし、素にするんと戻してくれるのも猪狩さんなんだろうなあ。お互いがお互いをとっても大事にしているんだろうなあって、伝わってくるよ。

優斗くんといる涼さんが好きだ。お互いがお互いにだけちょっぴり雑なところを見ると、信頼がちらと覗いた感じがしてとても心があったかくなる。たぶんきっと、これからお互いがもっともっと大事になるふたり。そんな気がしている。年下の先輩で、年上の後輩だけど、いい意味でそういうしがらみみたいなものはなくまっすぐ個と個で向かい合っているように感じます。涼さんは優斗くんを信頼しているから、きっと喧嘩ができる。サマステ期間中にふたりが喧嘩をしたというエピソードを見て、とても驚いた。涼さんは大人びいていておおらかだから、他人と喧嘩をしたりすることはたぶんあんまりないと思うんだけど、それでも優斗くんと喧嘩したということは、優斗くんとの関係は喧嘩したくらいでは折れない強固な柱を軸にしていると感じたからだと思う。そんなに強い信頼関係で結ばれていたのかと驚いたと同時に、涙が出るくらい嬉しかった。これからもっとフラットに、お互いがだいじな存在になりますように。

あんまり特定の誰かとベタベタしている印象がないところがすごく好きだなあと思う。単独行動が多いと言われていたりいろんな人とコミュニケーションをとっていると言われていたり…許す許さないの話ではないのはわかっているけど、なんとなくそれが「許される」ところが涼さんが涼さんたる所以だし「らしさ」であるのかなと思ったりする。

 

真ん中をとらないのか、とれない、のか。そんな自担が、たまになんとなく、でもすごく悔しい。涼さんは真ん中にいない。0番をとるのは、いつも隣の赤い人だったり、にゅっと出てきたピンクの人だったり、する。でもわたしは、青を背負うあなたが真ん中にたつことを夢見ること、やめられないんだよ。ごめん、でもね、祈ってしまうし願ってしまうよ。真ん中に立つ人がもつ性質。そういうものとか、向き不向きとか、そんなものがあることは、わたしが、涼さんが、痛いほど知っている。逼迫した状況でも、たぶん涼さんは真ん中に立てない。でも立ってほしい。他担から見ていても、わたしから見ていても、きっと滑稽な願いに映るのかもしれない。わからない!信じているのかいないのか、わからない!それでも願うことはやめられない!でもさ、ねえ、涼さん。センターがくるりくるり翻る、そんな5人の中でも、さ、いちばんになろうよ。いちばんって最高の響き、轟かせようよ。きっとそういう野心、涼さんにもあるよね。あると思わせてほしいな。エゴでもわがままでもなんでもいいから。涼さんが大好きな4人を、わたしもむちゃくちゃにだいすきだけど、わたしは、わたしは、誰より、何より、橋本涼さんが好きだから。願わせてほしい。涼さんが「いちばん」になることを。だから、だから、誰より先にトップに立ってほしい。そして真ん中にいる涼さんが見たい!涼さんがトップに、いくんだよ。きっと、トップにいこう。涼さんは、絶対絶対、大スターになる人だから。そのとなりに、4人を据えていたら、こんなに嬉しいことはないなんて、わたしはエゴが叶ったように思うんだろうな。

 

ねえ涼さん。わたしはあなたに出会ってから、すごく大事だと思える人に出会えたり、きらいだった季節を好きになってもいいかなって思えたり、未来が見えなくってウキウキしたり、めそめそしたり、いっぱいいっぱい「変わった」よ。わたしには涼さんを変えることなんて、できないわけだけど、でも、さ。涼さん、自信もってね。何が、とか、わからないけど、自信もってね。涼さんはきっと、いろんなひとの「人生」いっぱい変えてるよ。わたしは涼さんを好きになれてよかったって思うから、こんなのわたしのエゴだけど、涼さんもアイドルやっててよかったって、そう思っててくれたら嬉しいな。わたしは、アイドルをやってくれてる涼さんが、好きで好きで泣いちゃうくらい好きだから。ジリジリ焦がれるみたいだけど、でもぽかぽかあったかくて、そんなふうに好きだよ。だいすきだよ。あなたのことが、まるごとぜんぶ、だいすきだよ。

 

人生を量り売りするような商売で身を立てていく決心が、彼にどれほどあるのかはわからないけど、それでも9年間続けてきてくれたその事実に本当に感謝したいと思う。し、すごく尊いことだなと思う。普通に生きていたら必要のない所できっと心を傷つけただろうし、反対に言い様もない喜びをもらったこともあったと思う。悔しさも、涙も、全部、全部糧にしなければ生きていけない世界で生きていてくれる。うれしいなと、申し訳ないなと、でもアイドルをしているあなたがいちばんいちばんすきだなと思う。こんなに「次」を確約できない立場なんかたぶんほかにはなくって、それでもわたしは懲りないで「次」を、「その先」を夢見る。だって、涼さんが、他の誰でもないだいすきな涼さんがその先に進みたいと言うから。「君が行くなら間違いない」んだよ、きっと。あなたを囲む周りがぜんぶ、ひだまりであればいいなあ。手の届かないところまで、わたしたちを振り切って遠くまで駆けていってほしいなあ。時々後ろを振り返ってにこりと微笑んでくれたら、わたしはそれでいいから。不安になったら横を見て、前を見て、あなたを求めている人は今も、この先にもずっとずっといるから。もっともっとおっきくなろうね。単独で、横浜アリーナのステージに立とうね。あの地をあなたたちとわたしたちの足で踏もうね。もっともっと、幸せになってね。もっともっと、幸せにしてね。

きっと茨の道を通ってきたよね、これからも茨の道かもしれません。でも一緒に進んでいこう。進ませてほしいです。傷だらけになったって構わないよ。むしろ、傷だらけになってね。そして傷だらけにしてほしいんだよ。溶けたアイスはまた凍らせたらいいよ。不味くても食べられないことはないから。みんなで最後まで食べよう。そうやって、そうやって、積み重ねていこう。強くなっていこう。子供のまんまでいいから、子供のまんま強くなろう。一緒に、一緒にね。そうしてわたしを幸せにしてほしい。わたしは同時に、あなたを幸せにしたい。

 

これからできることが増えるでしょう。例えば免許を取ることができたり。選挙に行くことができたり、好きに遊べる時間がもしかすると増えたりするかもしれないし、レンタルビデオ店のあの暖簾の向こう側に行ったりすることもあるかもしれないし(笑)、もっと自由になると思います。結婚だってできるよ。それはたぶん世間一般から見て「大人になる」ということなのです。わたしは大人に怒られちゃうからと言って、へらりと笑うあなたがとっても愛おしくて大好きだったので、少しばかり、いやだいぶ寂しいけれど、でも新しい1年の門出に立ち会うことができてすごく幸せです。1個だけわがままをいうなら、まだ、まだ子供でいてね。急いでおとなにならなくたっていいよ。まだならないでほしいんだよ。子供のまんま、次の1年も、好きに生きてほしいなあ。髪を染めたり、ピアスを開けたり、勉強したって恋愛したっていいよ。捕まらなかったらなんだってしたらいい。好きなことをしてね。それがお仕事に繋がらなくってもかまわないから、好きに生きてね。涼さんの人生、それ自体まるごと応援しているから。やりたいことをやったらいいよ。その先に選ぶものがアイドルなら、わたしはうれしいけど、そんな義務、ないからね。

まだなんにも知らないけど、好きだなあと思うところが日に日に増えて、好きだなあと思う回数もそれに伴って日に日に増えていく。これからもきっと、わたしはずっと「なんにも知らない」。それでいい。それが正解だ。いつだってわたしは知ったかぶりしかできない。涼さんとの距離は、それがきっとちょうどいいし、それが心地いいから。これからもそうやって応援させてほしい。どんなに苦しいなと思っても、それでもわたしの人生むちゃくちゃ豊かになったなあと思う。断言するよ。あなたに出会えて、あなたを応援できて幸せです。今のわたしはあなたに出会えたことがめちゃくちゃ幸せなんです。胸がぎゅっとなることも、晴れ晴れすることも、どちらもあるけど、「ずっと」なんて在り来りでいてなんにも誓えない、そんな言葉を並べ立ててでも、あなたを応援しつづけていきたいと思うのです。これからさらに寒くなり、また、お仕事の方も忙しくなると存じますが、お身体には十分気をつけてくださいね。

今日はたくさんたくさんおめでとうって言ってもらえると思います。それを考えるだけで、わたしはすっごく幸せな気持ちになるよ。たくさんおめでとうって言ってもらってね、たくさん祝ってもらってね!わたしにも、たくさんおめでとうって言わせてね!最高の17歳をわたしにくれて、本当にありがとう。去年までなんともなかった、そんな10月30日を、キラキラで素敵な日にしてくれて、本当に本当にありがとう。

 

わたしのだいすきなひと、橋本涼さん。18歳のお誕生日おめでとうございます。

 

敬具

にじいろの世界へつれてって

 

もうすぐ、ジャニーズWESTのライブDVD「WESTival」が発売される。わたしがはじめて彼らに会ったツアーで、すごくしあわせで、とてもたのしかった。楽しいという気持ちで心を満杯にしてくれた、そんな7人だった。

 

アイドルに向いている人、なんて、もしかするといないのかもしれないと思う。わたしは、ジャニーズWESTの7人は、アイドルをするにはすこしばかり人間らしすぎないかとたまに考えたりする。大の大人が7人集まって、真面目にふざけて、真面目にその先を追求して、真面目に、真面目に泣いて、笑って、怒って、そして、楽しんでいる。あんまり人間らしいから、初めて7人に会った時、わたしみたいなファンと、彼らは対等な立場にいるんじゃないかと思った。

 

 

中間淳太くんが好きだと思う。聖母のような微笑みで、世界まるごとのみこんでしまうような…きっとじゅんたくんのファンは幸せだろうなあと幾度も思ったことがある。うらやましい、とは別ベクトルで、けれど、それに似たような感情がたまにわたしの心に覗いたりする。あんなに綺麗なひとなのに、めちゃくちゃ泥臭い生き方をするなと思う。知性も美もたくみな言葉も、わたしからしたら「全部」を持っているじゅんたくんなら、もっともっと上手く生きられるはずで、泥を被らなくたって、汚くならなくたって、するりと抜けがけるように生きていけるはず。彼はたぶん、それでも泥をかぶる人だ。被らないと生きていけない、そうじゃないと俺らしくないなんて、ふふと笑う人なんだと思う。そのマリアみたいな笑みと、裏腹に血も汗も涙もぜんぶ滲ませた不器用な生き方が、すごく好きだと思う。たとえそれがアイドルに向いていなくても。じゅんたくんがジャニーズWESTでよかった。エンターテインメントに携わる人でいてくれて、表舞台にたっていてくれて、本当に本当によかった。

 

桐山照史くんが好きだと思う。とっても人を思いやれる人なんだなあと。彼のことばで、ひとつ忘れられないものがある。なうぇすとのDVDに収録されている「寝れなくて寝れなくて楽しみだったよって人!…一緒で~す!」という挨拶だ。そのことばを紡ぐのが彼であることも、そう思っているかいないかはさておき口に出してくれることも、何もかも愛おしくて嬉しいことばで。わたしにとっては、大切な大切なたからものみたいなことばだ。彼は感受性豊かなぶんきっと傷つきやすくて、人一倍卑屈になったり涙を流したりしてきたはずだけど、それでもアイドルという仕事が何たるかをいちばん理解している人なんだろうな。優しすぎて、わがままになっちゃったり、心の盾がつくれなかったり、ひねくれてしまったり。たとえそれがアイドルに向いていなくても。それでも大事なことばをたくさん届けてくれて、たくさんたくさん笑ってくれて、なにより「理解」っているあきとくんが、めちゃくちゃ好きだ。あきとくんがジャニーズWESTでよかった。エンターテインメントに携わる人でいてくれて、表舞台にたっていてくれて、本当に本当によかった。

 

濵田崇裕くんが好きだと思う。きっとだれより「アイドル」であることに向き合ってきた人で、だれより「アイドル」を自覚している人だと思う。彼がふわりと笑うだけで、まわりをみんなみんな幸せにしてしまうようなところがだいっすきだし、とってもエンターテイナーな人だと思う。パリピポのドキュメンタリーで、「俺、ダンス嫌いなんすよ」って言っていたけれど、わたしは嫌いなものにあんなに執着して努力できる人なんて知らないから、きっとはまだくんはダンスもうたも、パフォーマンスぜんぶが好きなんじゃないかと思う。優しいが故に、人当たりがいいが故に、たくさん言葉の刃を向けられてきたはずで、それをのみこんでにこにこするはまだくんにはたくさんたくさん幸せが訪れてほしいと願ってしまう。たとえそれがアイドルに向いていなくても。わたしたちの幸せを願ってくれるはまだくんには、わたしには考えられないくらいの幸せが、はまだくんが心の底からしあわせだよと笑える未来がぜったいにはまだくんを包んでいてほしい。はまだくんがジャニーズWESTでよかった。エンターテインメントに携わる人でいてくれて、表舞台にたっていてくれて、本当に本当によかった。

 

重岡大毅くんが好きだと思う。しげおかくんは飾らない人だなと感じることがいっぱいある。たぶん飾ることの良さも悪さも知っていて、それでも飾らない人だから、みんなの「特別」になれるんだろうな。センターだなあ。しげおかくんには「自分がジャニーズWESTの主人公」という自負があるらしくて、それを聞いた時にストンとわたしの中でジャニーズWESTというストーリーが落ちてきて、同時にズシンと音を立てて根を張っていったのがわかった。そうだ。ジャニーズWESTは、しげおかくんの無にすら近い「圧倒的主人公力」があるから成り立っている。彼にはその自負がある。どんな魔法かなんて思ってしまったわたしは、そのことばを一生引きずるんだろうし、重岡大毅というひとのことを、人としてアイドルをやるこのひとのことを好きでしかいられないんだろう。しげおかくんはきっと、7人の中で、真にアイドルに「向いている」人だ。センターを自負するしげおかくんがとても好き。しげおかくんがジャニーズWESTでよかった。エンターテインメントに携わる人でいてくれて、表舞台にたっていてくれて、本当に本当によかった。

 

藤井流星くんが好きだと思う。細部までこころを届けられる人だなと思う場面に何回も何回も出くわしてきて、そんなのみんな流星くんのこと好きになっちゃうじゃんと思った。きらきらした輝きを持っている人でもあるけど、さらさらと揺れるような、やさしいきらめきを持っている人でもあるなあと思う。流星くんはたぶんなににおいても、「過ぎる」ことがない。優しすぎないし、気を遣いすぎないし、かっこつけすぎない。それでも「ちゃんと」やさしいし、かっこいい。「過ぎない」なかで、素敵すぎるひとだ。誰にだって平等で、むずかしいこともさらりとやってのけてしまって、ずるくて、かわいくて、ころころ笑っていてくれて、ぽかぽかな人だ。たとえそれがアイドルに向いていなくても。涙を見せないというポリシーを持ちながら、涙を見せてくれたあの日の流星くんが、愛おしくて大好きだなあと思う。流星くんがジャニーズWESTでよかった。エンターテインメントに携わる人でいてくれて、表舞台にたっていてくれて、本当に本当によかった。

 

小瀧望くんが好きだと思う。ピュアで、やさしくて、なによりかわいいひとだとおもう。愛嬌があって、誰にでも好かれて、みんなに愛をもらいながらその中心でにこにこしている、そんなのんちゃんがかわいくっていとおしくって大好きだなあ。のんちゃんがまっすぐ愛されるのは、彼が周囲をまっすぐ愛している証で、愛に愛を返せる彼はすごいなあとひねくれたわたしは思う。まぶしい人だと。泣くことも笑うことも拗ねることも、なにもかもきらきらに包まれているのんちゃんが、たまにうらやましい。あたたかな愛に育まれてきた彼は、もしかすると傷つきたくないという気持ちや負けたくないという気持ちが強いのかもしれないなあと思う。数字とか、そういうものをいちばん気にしているのはのんちゃんなんじゃないかな。そんな彼に、いつか納得してもらえるくらいの数字を見せてあげたいと思う。思わず自慢したくなっちゃうくらいの。たとえそれがアイドルに向いていなくても。数字をあげることがすべてじゃないけど、でも、それが現実で、現実は必要以上にせまってくるものだから、聡いのんちゃんがにこにこと笑えるくらいのものをあげたいなあと思う。わたしものんちゃんをまっすぐ愛したいと思う人間のひとりだから。のんちゃんがジャニーズWESTでよかった。エンターテインメントに携わる人でいてくれて、表舞台にたっていてくれて、本当に本当によかった。

 

 

神山智洋くんのことが、大好きで、大好きで、だいっすきだなあと、思う。わたしの五感は神山くんのためにあるって、冗談抜きで思うことがある。わたしが今までジャニーズを応援したきたのは、たぶん神山くんに出会うまでの序章に過ぎなくて、その序章も大事にはしているけど、わたしの人生神山くんに出会うためにあったと本気で本気で思っている。エンターテイナーを追求する神山くんが、きゃはきゃはと笑う神山くんが、控えめでおしとやかでそれでも熱い神山くんが、わたしにとって世界でいちばん大事でだいすきなひとだ。神山くんの紡ぐことばがすきで、神山くんはことばが上手じゃないけどそのかわりとってもストレートで、気持ちをダイレクトにことばにのせてくれるひとで、そんなことばたちがいとおしくてやさしくてつよくてやわくてだいすきだ。だいじなことをことばにすることをいつでも諦めない人だと思う。ぜったいに人任せにはしない。きちんと自分のことばで届けてくれる。そういうあたたかさが、気持ちが、わたしのこころの隅々まで行き渡る時、わたしの人生この人に出会えただけで100点満点中200億点だって思う。神山くんは、神山くんは、もしかしてアイドルに向いていないかもしれなくて、それでも神山くんは「変化し続けるアイドルでありたい」とか、自分がアイドルだという自覚と誇りを持っていて、それを伝えてくれる。アイドルに向いていないんだとしても、わたしはこの人のことを最高のエンターテイナーだと思う。一生かなわないと。好きでいるしか方法はなくて、神山くんが見る景色は方角が違ったってわたしも一緒に見ていたくて、てっぺんを目指すなら押し上げてあげたくて、神山くんが進む先の道を少しでも照らしたいと願う。きらきらでぎらぎらで、そんな神山くんが進む先に、わたしも存在していたい。歌うことが好きで、踊ることが好きで、なにより魅せることが好きな神山くんにいつでもいつまでも魅せられていたいって願っちゃうくらいだいっすきなひとだ。神山くんの細部まで命の宿るダンスも、感情が溢れるくらいのった歌声も、何よりそれを楽しいと伝えてくれる心意気も、ぜんぶがすきで、この人について行くしかないって気持ちでブルブル震えてしまう!好きだ、好きだ、好きだ!神山くんがすき!こころがグツグツ沸騰して煮えたぎるくらい、神山くんが好きだ!神山くんがジャニーズWESTでよかった。エンターテインメントに携わる人でいてくれて、表舞台にたっていてくれて、本当に本当によかった!

 

7人に会って、こんなにも楽しいという気持ちで心を満たせる人をわたしはほかに知らなくて、これからも知りたくはないと思うくらい好きで好きでたまらなくて、そんなジャニーズWESTをこれからも応援していきたいなあって思います。うえすてぃばる振り返ってたら気持ちが溢れてしまったので書いた。ああだいすきでしあわせだったな、またはやく7人に会いたいな。